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Metro / Metro

Metro


 私の今年上半期ベストに輝く1枚です。70年代モダンポップですが、美しい旋律にのる歌詞は、韓流も真っ青のベタベタ悲恋もの。中心人物のダンカン・ブラウンはVo.のピーター・ゴドウィンとはゲイのカップルだったらしく、破局後脱退。闘病の末‘93年に逝去しました。やっと再発されたのに、悲喜こもごもです。(エアー・メイル・レコーディングス PGL-9404)

May 2006

 

マンプク宮殿5 南部煎餅と偽り

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 実家から東京へ出てきて驚いたのが食料品店の煎餅陳列棚に南部煎餅が殆ど見当たらない事だった。家の食卓上に煎餅が置いてあればそれはほぼ南部煎餅、それ以外のものは稀であった環境で育っていた私にとって地域的な食文化の差異を思い知らされた一件。食文化に於いて井の中の蛙状態だった私に更に衝撃を加えたのが音楽。逆の意味で。

小松製菓 南部田舎ごま 12枚×5袋
色々な地場メーカーが出していますが、東京では手に入りにくい南部煎餅 薄味な黒ゴマ付のタイプが最も定番

 

 テクノポップ→プログレ→パンクという変遷を辿った私は「パンクって格好良いけどバンドによってはただのロックンロールにしか思えないな。横浜銀蠅とかキャロルと変わんないようなのもいるし。」という不埒な考えをいだいていた。(どのバンドを指しているかは言わない)なんかもっと普通じゃない奇形な音、プログレとパンクが合体したような音って無いのか・・・と情報に飢えた私は音楽雑誌を読む事にした。

○ロッキングオン→せいぜいPIL位までしか取り上げてくれない。LED ZEPはもう沢山だよ!

○ミュージックマガジン→自分が興味持ったアルバムはことごとく中村とうようが0点つける。ロボコンかよ!今野雄二は興味持ったアーティスト取り上げてくれるけどこの人の文章嫌い。(お二人とも故人ですね・・・)

○ZIG ZAG EAST→書店で1回だけ見たがすぐ廃刊なったみたいで見当たらない。

○ロックマガジン→関西の雑誌で誌名だけは知っていたが売っている店がない。

 で、出会ったのが「FOOL’S MATE」。この雑誌は時期によって扱うジャンルの変遷が激しく紙媒体として発行していた最後の頃はビジュアル系バンド専門誌になっていた。私が見つけた頃は極初期のプログレ雑誌から海外のポストパンク、ノイズ系を取り扱い出す移行期の紙面構成だった。多分15-16号位を本屋で発見して読んでみると自分の知らないバンドがワサワサ乗っている中にTHE POP GROUPのライブレポートやクリムゾンの復活作disciplineの評論が載っている。これも故人だが当時の編集長北村昌士氏の文章で「今のクリムゾンを聴く位ならTHIS HEATの方が数段良い!」という絶賛を真に受けた私は丁度国内盤で出たばかりの2NDアルバム、DECEIT(邦題「偽り」)を買ってみた。

 Deceit [Analog]
原題、Deceit。邦題「偽り」 このジャケ、子供の頃超怖かった…

ジャケット、人の顔にキノコ雲がコラージュされたデザイン、裏ジャケもタイポグラフィーのコラージュで既に不穏な感じが全開。

 音聴き始めて・・・「キタキター!これこそ自分の求めている音楽!」と大興奮。曲の構成が奇妙に捻じれていて大音響から急にテープコラージュしたミニマルな音に展開。歌も童謡風のメロディーから一転してデス声の絶叫。そしてドラムの音が異様に格好良い。「こりゃあ凄い!超名盤!」と確信し家に遊びに来た友人や従兄達に聴かせたが皆「何?この根暗な音」とか「ビョーキだなあ・・・」とかまともに取り合ってくれない。

 こんな名盤をなんで周りの人は誰も判らないのだ!→でも雑誌でも凄く絶賛していたし、きっと東京に行けばこういうものを好きな人たち沢山いるはず!とミドルティーンならではの浅はかな思い込みに囚われた私はそのままの状態で東京へ出てきた。

 結果、東京でもあまり知られていなかった。地元では学校で自分1人だったけどこっちならクラスに1人はこういう音聴く奴いたりするよね!と思っていたが、友人に「あー、あんたが好きなような音楽を聴く奴なぞ学年で1人か2人位なもんだったよ」と言われやはりマイナーなものはどこ行ってもマイナーなのだなと思い知った18の秋。

 東京に出てくれば様々な文化が百花繚乱と思いこんでいた浅はかさを俯瞰で見られる歳にはなった。南部煎餅は地元の駅で土産物の目玉として盆正月は凄まじい勢いで売れていく。でも未だにTHIS HEATは辺境の世界で密かに聴かれているだけだ。南部煎餅を食べる回数とTHIS HEATを聴く回数だったら圧倒的にTHIS HEATを聴く回数が今でも多いのだけど。まだ浅はかな思い込みだけで生きているのかも知れない。 

岩手屋 おばあちゃんの南部せんべい しょうゆ 12枚×5袋ジェントルマンが薄ゴマ味の次に好きなのが、この薄ゴマ味に醤油を塗った醤油煎餅。彼は上京するまで醤油煎餅といえばこれの事だと信じて疑わなかった

Episode 1705 : The Disappointed / prologue

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練馬残念猫 序章
 
練馬に住み始めて19年になる。すなわち生まれてから来し方ざっくり6割を池袋、4割を練馬で暮らしたことになるが、実家も現在の住まいも賃貸住宅の為、基本的に動物は飼えない。こっそりインコや魚を飼ってもみるが、主人も私も実は大の猫好きで、しかも家では飼えない環境下にあるので、いつも猫欠乏症に悩まされている。それでは猫カフェに行ったり人のうちの猫と遊ばせてもらったりすれば気が済むかといえば、そうでもない。ある意味プロの猫や飼い猫は、しょせん仕事やご主人の顔を立てて我々の相手をしているのがありありとわかるので、不完全燃焼度が高いのだ。そのうえ二人とも猫に対する美的感覚が徐々に倒錯し、身ぎれいで整った猫ではなく、造作がまずい、例えばたった一つのひげブチのおかげで台無しになっている親父顔のメス猫や、3歳児のお絵かきにも似た、全身ほぼ水玉状態の見ていて不安になるような白黒バランスの悪い猫など、もうちょっとここがこうだったらよかったのに、といういわゆる「残念猫」系に眼がなく、ペットショップや猫カフェでは決して出会えない、残念柄の地域猫や真性野良猫の日常に、どれだけ食い込めるかが満足度の指針となってしまった。
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練馬残念猫 例1
 
ブサ可愛いのレベルを超えた、時に息をのむほどの残念ぶりに心が躍るようになってどれだけ経つだろう。しかもここ練馬は残念猫の生息率が非常に高いような気がする。戦前は農地だらけだった練馬は、空襲の被害もなかったのか、区画整理が全く行き届いておらず、あちこちに行き止まりや無駄な敷地が散乱しており、車が入ってきづらいため、野良猫や地域猫が運よく暮らしやすい立地になっている。放置住宅の庭で子育てし、近隣の方から着かず離れずに食事をもらい、平気で人のベランダで授乳していたり自分らが育った空家の庭で数匹玉になって暖をとったり、道路の真ん中で首をがっくり落として死んだように寝ている奴もいる。そういう、ある意味昭和の猫づきあいを彷彿とする距離感で、いつもどこかに猫がいる。しかも、かなり残念な面構えで。その中でも時折、突出して懐っこい猫がいたりもするが、さすがにそういう人当たりの良い猫は、昨今動物虐待の観点から危険な目に遭う可能性がある為、仲良くなったと思うと地域猫活動員のあっせんで、さっさと人に貰われていく。そして残るのは、いつも目が合うと一目散に逃げるか、様子を見て逃げるか、機嫌のいい時だけ触らせてくれてあとは逃げる、危機管理の行き届いた者ばかりで、その触るか触らぬかのせめぎ合いに、血中猫濃度がいやがおうにも向上するのだ。
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残念猫 例2
 
この悪癖は特に主人に強い。友達が飼い猫の写真を送ってくれるとだいたい普通に可愛いので、主人はあまり喜ばない。彼は血中猫濃度が低下すると挙動不審になるので、わざわざ地域の残念猫会いたさに通勤路を変え、練馬へ買い物に行くという名目で、近所の野良猫がいそうな道をくまなく通り、2割がた遠回りで練馬のスーパーへ行くのが毎週の恒例行事となり、週末は「ライフ、行く?」が朝の挨拶がわりだ。
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残念猫 例3
 
これから、今まで出会ってきた練馬残念猫の半生を、折々の出来事と共にひとつひとつ綴っていこうと思う。
 
 
 

ハンブルサーバントの独り言 Humble Mumble 5 真珠の耳飾りの少女

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台湾は様々な国に支配されてきた。明の一部としてオランダと戦った17世紀。結局1624~1662年の37年間も南部を首都として統治されていた。その中心地に建てられたゼーランダ城は今でも観光の名所だ。台北とは違い、何かのどかな台南。父も南部麻豆(まとう)の裕福な商家出身なので(親族でただ一人日本に帰化して最後倒産。アハハ)親戚が何回か観光案内してくれた。スペインやポルトガルも跋扈していた時代、ゼーランダ城を取り巻く城下町には地元民に限らず本国オランダから派遣された軍隊や商人、職人その家族など活気ある日常がくり広げられ、文化的にも様々な交配が織りなされていったのだろう。当時の面影を残す狭い裏路地など、’16年末に妹と訪れた時、安平区というまさしくオランダ政権のメッカで、現地名物、「爆蝦せんべい」を恥ずかしいほどお土産に買ってもらった。1個でもバルキーなのに、ひとり4袋、巨大な赤い屈強なビニールに入れて「荷物になるけど」と持たせてくれた。荷物になったよ!うまかったけど!

帰国着、買いっぱなしで7年間しまい込んでいたDVD「真珠の耳飾りの少女」を見てぶっ飛んだ。
フェルメールがオランダ人だったことを今更ながらに思い出し、主演がコリン・ファースだし、見てみるか~程度の、私のバカ!まさしく、17世紀オランダ、デルフトが舞台なのだ。この時代、貴族ではなく商人が交易を通し、巨額の財を築いていたという。そこにはアジアからもたらされた美術品や文物もあったはずだ。ウィキペディアでも当時のオランダ文化を知りたいなら、フェルメールの絵画を見てみるといいと出ている。映画の筋としては画家フェルメール一家に奉公にきた、貧しくとも色彩感覚にたけた少女と、旦那様(フ氏)との魂のタッグから名画「真珠の耳飾りの少女」が誕生する、切ないラブロマンスとして仕上がっているが、小説がもとになってるので、ほぼフィクションらしい。「あんなに大きな真珠の耳飾りもモデルも存在しない論」が最近は主流だという。奥様の嫉妬、ヒステリーもすざましいものがあるが、筋書うんぬんより、とにかく建物、運河、庶民、金持ちが着ている衣装から目が離せなかった。長崎カステラのパッケージに書かれているような広いつばの帽子を被り、中途半端なロンゲに寸足らずのズボンにマントの男性。豪華なドレス、素敵な髪形。でもイギリスのそれとも全然違う。女中たちはみな髪を隠し白い頭巾を被っている。賑わう市場。捌きたての豚、鶏、魚、野菜。窓から刺す柔らかい光。この映画は場面場面がそのまま絵画のようだ。ただ、こういう時代のオランダ人が財にものを言わせ、遠路遥々船に乗って台湾に行き、現地人を労働力にし、ある時は圧政に蜂起した漢民族を虐殺したのか、本国ではこういう生活をしている人たちが、南の島に行った家族を待っていたのか...などなど、中年女の胸中は違うベクトルから感無量になっていた。オランダの黄金時代は短く、英蘭戦争やフランスの侵略で経済は大ピンチになり、リッチなパトロンを得ていたフェルメールも破産している。
台湾のオランダ統治も鄭成功の猛攻撃によりあえなく終焉を迎えている。20代の頃、初めてゼーランダ城界隈に行った時、鄭成功の前で頭を下げて降伏している有名なオランダ人の銅像の前で、当時何も知らなかった姉妹は同じポーズをして写真を撮ってもらっているのでした。私46キロ、妹60キロでした。 

真珠の耳飾りの少女 通常版 [DVD]

 

Curved Air / Live

ライヴ(紙)


 1975年リリースされた初期ライヴのリマスターです。どうもこのライヴは、バンドが活動停止中に興行主の金策でやらされたらしく、本来は鈴を転がしたような美声の紅一点、ソーニャ・クリスティーナが一転、頭にたらいでも落ちたかの如く狂唱、完全に針が振切れてます。彼女自身、当時小さな子供を抱えた上無一文同然だったそうで、荒れるのもわかる気がします。カーヴドエアは曲が泥臭く、本来は「圏外」なんですが、何より聴いてて妙な元気が出るのでこの盤だけはお勧めです。(アルカンジェロ ARC7019)

Jun. 2007

マンプク宮殿4 コッペパンとThe Voice of America

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 いつの間にか全国区で知名度があがってしまっていた地元のパン屋「F田パン」。私が高校生の頃は昼飯前、3時限目の終わりくらいに学校に売りに来る新陳代謝全盛期の餓鬼御用達のパン屋だった。
かなり大きなコッペパンの横に切れ目を入れて様々な具を入れて売る。メニュー名は「ジャムバター」「バター」 「チョコレート」「メロン」と甘さと脂マキシマムなメニューばかり。その中で一番人気は「ジャムバター」。3時限目終わり次第すぐ駆けつけなければ購入するのも難しい。教師によっては終業のベルが鳴ってもキリが良いところまで授業を終わらせない御方もいらっしゃる「や・・・教育熱心なのは結構な事。だが!今この瞬間だけは我々の食欲の邪魔をしないで欲しい」という怨嗟のこもった視線を彼は気づいていたのであろうか。
 買えなかった敗残者たちに複数個買いしておいて定価より高い値段で売り小銭稼ぎする輩も出る有様。阿漕な事するよな・・・と横目で冷ややかに見る先には売ってもらった事に本気で感謝している奴がいる。ここ昨今はジャガイモ不足でポテチ欠品、報じられた矢先に買い占めヤフオクやメルカリで1袋500円で売っている連中がいるが、買い占めるやつとそれを買って喜んでいる奴がいる限り人類滅亡までああいう光景は続くのであろう。願わくばあの時パンごときで利ザヤ稼いでた奴が商社などに入っていないことを祈るばかりだ。
 
高校2年になった頃に新メニュー「餡バター」が登場。より甘さと脂気増量で更に売り場が阿鼻叫喚になるんだが、そうはいっても所詮間食のおやつみたいな扱い。高校卒業と共に食べることもなくなり、30半ば位までは忘却の彼方。ある時、妻を連れて帰省した際に近所のスーパーで売っているのを発見。「これこれ。こいつは市内の学校に売りに来てたパンで子供の頃みんな世話になった。ある意味ソウルフードだよな」と妻にひとしきり蘊蓄述べた後、加齢に伴う若さへの郷愁なのか「ジャムバター」と「餡バター」を購入してみた。値段は当時の2倍になっていたがそれでも¥168(税抜)それくらいでちょっとしたノスタルジー味わえるなら良いんじゃない?と。東京へ戻る新幹線内で食べてみると懐かしさ補正で数割増しになってるかもしれないが今でも結構美味しく食べられる。何より驚いたのが妻がえらく気にいってしまった事だ。それからは帰省する毎に機会があれば買うようにしていたが、いつの間にかローカル限定のレトロフード扱い だったものが知名度が上がる一方、東京にもインスパイア店が出来たというニュースを聞き、昨年には店の前に買いに来た車が駐車場に入りきれず道路渋滞を引き起こし問題という記事を見つける羽目になった今、本人達も望んでいないのに上のステージに上げられ困惑してるのでなければ良いが…
 コッペパンにジャンク系の具がたっぷり詰まった食べ物。そんなものと「道路渋滞」という単語が並列する世界は何かが間違えてるような気がして仕方ない。
 
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一番人気のアンバター 1個1メガカロリー相当
 
 さて、日々体に小麦と餡とバターを放り込んで未来の脂肪腹製造に勤しんでいた頃、一部で話題を呼んでいたロックのサブジャンルに「ノイズ/インダストリアル」というのがあった。
THROBBING GRISTLE,SPK,MB,WHITEHOUSE。
日本だと非常階段とかNORDといったバンド群が思いだされる。「思い出される・・ってアンタそんなもん聴いてたの?」ええ・・・聴いてました・・・・乏しい小遣いから捻りだして「ガー!」とか「ジジジジジ・・・・」という音に絶叫やら鼻声でなんかイヤーな感じの事ブツブツ言ってるような音盤を何枚か・・・。 
 日本のレコード会社も海外の大手レーベルとの系列化が進んできた時期で、日本国内独立系のレコード会社はメジャー系アーティストの販売権が無くなり海外の新興独立系マイナーレーベルとの契約を与儀なくされて来た時期、そして今より洋楽が売れていて聴取層も厚かった事。映画、活字、漫画の世界とも横断してマイナー/アンダーグラウンド系の活動が多面的に紹介されていた事。諸々の要素が絡んであの頃はこの種の音楽も日本盤で発売され、片田舎のレコード店でも購入可能になりつつあった。
 
 その中でも早くから紹介され、複数タイトル国内盤で発売、来日公演も行った上そのライブ盤が発売されたのがCABARET VOLTAIRE。日本では略して「キャブス」と呼ばれていた。もうバンド名からしてダダイズム運動の活動拠点からとったという臭さ満点の彼等。彼らのアルバムを初めて購入したのは16歳の誕生日前後。一応今でも最高傑作と言われている「THE VOICE OF AMERICA」だった。発売すぐに買ったわけではなく数年後の購入。ジャケデザインは非常に好み。モノクロームのコラージュ写真に蛍光ピンクでハイライトを入れたデザインは今でも秀逸だと感じる。
 音はというと・・・当時感じたのは「やけに薄口、というかこれ音が安っぽいテクノポップだよな?」薄っすらと背後に不穏な音聞こえたり、ボーカルにキツいイコライザーかけて歪ましたりしてる部分にこちらが望む要素はあるんだが「でも・・・これノイズじゃないよね」と悩みつつ何度も聴いて、その上他の作品も買ったのだからどこか気に入る部分はあったのだろう。今でもCDで買いなおして持っているわけだし。彼等自体は80年代半ばからは大手レーベルに移籍し音も洗練された感じになっていったが、いつまでも「そこはかとなくチープ」な佇まいは変わらなかった。
 
 90年代以降は「テクノのオリジネイター」とか「音響系の元祖」みたいな再評価がなされ、ここ数年でも旧譜の再発が続いている。中古屋に行けば初期音源集がプレミアがついて売られているキャブス。
でも。彼らの個性はあのなんとも言えない安っぽい音の中に見え隠れする侘び寂びみたいな中にこそあったのではないだろうか?
 そういう行間から滲み出てくる灰汁を愛でる時に「元祖」とか「伝説」とか「過激」なんて言葉は要らない。「渋滞」ももっての外。
 
ああ・・・・そういえば彼らの来日公演、会場のディスコに客詰め込めるだけ詰め込んで満員電車より酷い状態だったと当時記事で見た記憶がある。その日の録音でリリースされたライブ盤、帯のコピーが「熱狂の発汗ライブ!」って・・・そりゃ詰め込みすぎなだけでしょうが! 
 
Voice of America

 

 

episode 1208 : nephew K's extraordinary life chapter II

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「甥っ子Kの非日常Ⅱ」
 
 父が逝って3度目の夏が来た。毎年旧盆に催される霊園での行燈供養に今年も姉妹揃って参加した。今年は、長らくの地方ゲーセン赴任が昨春漸く終了し、
晴れてゲームソフト開発会社の本社勤務となり東京に戻ってきた甥っ子Kも来てくれるとの事。本社でも忙しく、月間120時間もの残業をこなすKにとってたった2日間の夏休みのうち1日をお墓参りに充ててくれる彼の優しさに感謝した。

夕刻霊園につくと、既に蝋燭の灯された行燈がお墓の前に幾つも並べられ、幽玄なあかりがほんのりと揺らいでいた。夕空はあっという間に夕闇となり、行燈に照らされた各々の顔もはっきりと見えない程に暮れた頃「これより、卒塔婆供養を行います。皆様、黙祷をお願い致します」と放送が入った。1年間、墓石に寄り添い故人を弔い続け、風雨に枯れた卒塔婆を供養すべく、お焚上げを行うのだ。お焚上げは行燈供養のクライマックスで、多くの人がお焚上げの壇へと集まっていった。行燈供養初参加のKも興味津々「それでは火点します」の合図と共に「僕、見てくるよ」と火点された壇へと走っていった、が…

「…卒塔婆、くせぇ!!!」Kが壇から爆笑しながら一目散に逃げてきた。

何と、卒塔婆は火点される際ガソリンを撒かれ、物凄い勢いで火柱を上げて燃え盛っているのだ。風下にいた私達の方にもガソリン臭が流れてきて、油煙をあげながら周辺の木立より一段高い火柱を上げる卒塔婆に、祈りを捧げるどころではない。しっとりと暮れた行燈の灯りが記憶から吹っ飛ぶような火焔を後に、墓参客は我先に最寄駅と向かうピストンバスに乗り込んで、火災現場から逃げるように霊園から立ち去って行く。そう、行燈供養はいつも、ガソリンの臭いとはじけ飛ぶ黒煙で幕を閉じるのだ。

走り去るバスの窓から火の勢いが収まらない卒塔婆供養を眺めながら、そんな事はどうでもよいかのように、Kは車中で母親と激しく盛上っていた。翌日からまた残業の日常に戻る彼の、非日常的なお盆休みは、焔と共に終わった。

Aug. 2012