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マンプク宮殿22 去るもの来るもの

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 数日前、阿木譲が亡くなった事を知った。70年代後半~80年代に「ROCK MAGAZINE」という雑誌を主宰し、VANITY RECORDSというレーベルも作り「AUNT SALLY」や「DADA」とか出していた御仁。それ以降も新しい雑誌を出したり、クラブを関西で運営していたりという話は聞こえてはきたがそれについて深く追いかける事はしていなかった。6年ほど前、「音楽評論家がストーカー行為で逮捕」という記事が出て、誰がそんな事を?と思っていたらこの人がやらかしていたので驚いたが、それが生前メディアで大きく取り上げられた最後だったのではないだろうか?
「東のFOOL’S MATE 西のROCK MAGAZINE」と言われていたらしく、両誌ともプログレ、ヨーロッパ系アヴァンギャルド、ポストパンク等を紹介する雑誌だったが、関西で発行されていたという事情もあるのか、私の住んでいた地域では入手する事は出来なかった。

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Rock Magazine 関西の雑誌だったので、池袋在住の中学生だった店主タヌには入手困難な雑誌の1つだったが、表紙は他の雑誌で広告をよく見ていて、こういう昭和の未来感が炸裂するヴィジュアルに、無意識に感化されて育ったのは否めない。つまり自分の美的感覚はここから育っていない

彼の文章を初めて読んだのはBRIAN ENOのアルバム「ANOTHER GREEN WORLD」ライナーノーツだったか、アナログ盤は実家に置いたままなので今再読は出来ず、どんな事が書かれていたのかも全く記憶に無い。
上京してから輸入レコード屋や古本屋でようやく雑誌を入手。発刊時期によって版型や装丁がかなり変わる雑誌だが、印象としては雑誌というよりムック本、随分デザイン、レイアウトに凝った本だなと思った。当時のペヨトル工房や工作舎という出版社から出ていた本と同じような雰囲気。その後、本人著作の「ROCK END」という本を購入した記憶はあるのでそれなりに興味を持って追いかけていたはずなのだが、今家を捜索してみるとROCK MAGAZINEのバックナンバーが1冊出てきただけで、それ以外の本は全て消滅している。結婚→引越時に書籍大量処分をしたがその際に捨ててしまったらしい。本のデザインや装丁は記憶に残っているのだが、はて?阿木氏の書いた文章はどんな内容だったのか全く思い出せない。辛うじて「なんか間章の文章に似ている感じがする・・・」というぼんやりとした感触だけが残っている。そういえば間章の本も一時期随分集めたが今は1冊しか本棚に無い。どちらも紹介している音楽は興味深いものなのだが文章が私には濃すぎた?理解できるだけの脳が無かった?どちらも真実だが、ペダンチックな匂いに噎せそうになったというのが真相だったように思う。私は彼等の良い読者では無かった。

妻は阿木氏がラジオで紹介する音楽がどれもこれも面白く、とてもためになったと言っている。「METABOLIST」「THROBBING GRISTLE」等をラジオで初めて聴いて衝撃だったと。私もそのラジオを聴いていたら印象が変わっていたかもしれない。

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Fool's Mate 店主タヌも10代の頃ガチで読んでいましたが、平成に入り日本のヴィジュアル系バンド雑誌に変わってしまい縁遠くなりました

FOOL’S MATEの北村昌士氏は12年前に既に亡くなっている。阿木譲は10/21に亡くなった。そしてその2人が絶賛していたバンド、THIS HEATが今日来日公演を行う。中学時代出会ってから今に至るまで多大な影響を受けたバンド。まさか観られる日が来るとは思っていなかった。そういえばどうしても手に入らないTHIS HEATのカセットのみリリース作品をようやく入手できた店、明大前にあった「モダーン ミュージック」(何年も前に店舗は閉めて通販のみになっていたが)の店長さんも昨年亡くなっていた。

 去るものもあれば来るものもある。しかし、自分の年齢から考えても今後は去るものが圧倒的で、来るものは指折りで数えられる位だろう。そしてそろそろ自分も去る方にまわる筈だ。来るものは大事にしておかないと。

(阿木氏が生前手がけていた雑誌の最新号がこれから発売されるという話も聞いた。追悼になるのか。出たら読んでみたいと思う。)