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マンプク宮殿30-5 LET ENGLAND SHAKE#5 

(ほぼ1年の中断を挟んで更新です。備忘録代わりでもありますがやはり所々曖昧になっている。地図と撮った写真と妻が頼りだ) マンチェスター2日目。朝は昨日TESCOというコンビニで買ったソーセージ&マッシュという1品と牛乳。名前そのままのソーセージ2…

マンプク宮殿30-4 LET ENGLAND SHAKE #4

4日目、朝食堂へ向かうとどうやら客は我々のみ。ここもフルイングリッシュブレックファーストが出てブラックプディングなるものを初めて食べる。豚の血をメインに油、香辛料等を混ぜて作られたサラミ状の一品。素材だけで考えるとさぞ生臭いものを想像するが…

マンプク宮殿30-3 LET ENGLAND SHAKE #3

3日目。旅行日程の1/3を消化。これまでは週末だったがここからは平日、日本でも会社は業務が始まる。時差マイナス9時間、日本の朝10時はこちらでは深夜1時。不在中はなるべくメールを控えてくれとはお願いしたが、一応1時に目覚ましセットしてPC開くと普通に…

マンプク宮殿30-2 LET ENGLAND SHAKE #2

渡英二日目。前夜のベッドデングリ返し→マット床直敷きで天井が高い状態で目覚める。幸い時差ボケはそんなに影響が無い感じ。朝7時だが外はまだ暗い。この時期のイギリスは7:30~8時位にようやく日の出、16時過ぎには真っ暗になってしまう。反対に夏は22時…

マンプク宮殿30-1 LET ENGLAND SHAKE #1

LET ENGLAND SHAKE-1 前行ったのは30年前。昨年11月、妻の勤続30周年報償休暇に併せてブレグジット&総選挙でドタバタのイギリスへ行ってきた。前回渡英からあまりに年月が経っている上、若人だった頃と中年真っ盛りの今行くのではどう変わっているのやら。…

マンプク宮殿29 ハマタイ!は無しよ

昨年は10月にTHIS HEAT 、12月にKING CRIMSON、今年は4月にKRAFTWERK, 7月に人間椅子と最近は自分には珍しくそこそこ大きな会場でライブを観ている。人間椅子はまだしも(とはいえ彼等も既に50歳超えだが)他はメンバーが既に年金生活者でもおかしくない方々…

マンプク宮殿28 HIROSAKI AFTER THE NEPUTA

地球温暖化の影響なのか、加齢による衰えなのか、年々体感厳しさを増す7-8月の猛暑。今年は梅雨が長引いたせいで始まりは遅めだったが、7月後半から雨も降らず延々と晴天と酷暑が続いている。毎年8月の中旬、お盆休みの時期には避暑も兼ね帰省しているが…

マンプク宮殿27 1969年という年:世界の音楽編

今回はお題が1969年という事。私は産まれてから僅か数年経過しただけ。当時の世の中を体験するにはまだ小さすぎなのでいきおい追体験でしか語れないが、家にある音源ライブラリから引っ張り出してその時代を騙れと、語れの間違い?いや後追いで尤もらしく何…

マンプク宮殿26 R.I.P Mark Hollis (ex. TALK TALK)

’80年代初頭~中盤にかけて盛り上がった「ニューロマンテイック」と日本では呼ばれていた一連のバンド群。今でも現役感があって活動しているのはDURAN DURANくらいか?VISAGE(リーダーお亡くなり済)CULTURE CLUB(少し前に新作ライブ盤が出ている)ABC, Span…

マンプク宮殿25 Music from the Death Factory

中学生時分、購読していた音楽雑誌やFM雑誌(死語ですね。昔はFM放送を録音する「エアチエック」なるものが盛んだったのでFM局の番組表と軽めの音楽&オーディオ記事を載せた廉価な雑誌があったのです。2000年代入る位にはほぼ絶滅しました)で「インダスト…

マンプク宮殿24 Starless in 金沢

2018年もそろそろ終わり。今年後半は自分が中学生の頃に出会い、多大な影響を受けたバンドが連続して来日し、最近滅多に行かなくなった洋楽のコンサートに足を運ぶ事が多かった。 お前も音楽活動も終活しろというお告げか?などと思いつつ、10月に代官山でTH…

マンプク宮殿23 Low Lifeと吉野家

洋楽なるものがまだ勢いがあった頃、私の中学時代は人気がある方々の来日公演は札幌、仙台、東京、名古屋、大阪、京都、福岡といった各地方の中核都市で行っていた。記憶ではJAPANやPOLICEなんかも私の出身地近くの仙台まで来ていたはず。それが高校時代にな…

マンプク宮殿22 去るもの来るもの

数日前、阿木譲が亡くなった事を知った。70年代後半~80年代に「ROCK MAGAZINE」という雑誌を主宰し、VANITY RECORDSというレーベルも作り「AUNT SALLY」や「DADA」とか出していた御仁。それ以降も新しい雑誌を出したり、クラブを関西で運営していたりという…

マンプク宮殿21 とんかつ村とTrash

私の通っていたマスプロ私立大は、80年代の大学キャンパス郊外移転が相次いだ時期に、八王子市と橋本市の境に一部学部を移転させた。私はそこに移転2年目で入学したのだが、3,4年生はそのまま元の場所に残ったので、無駄に広い学内に2学部だけの移転で1.2年…

マンプク宮殿20 東秀とALIENATION

上京して最初に住んだ街は中央線の西八王子駅から歩いて15分、風呂無し、トイレ共同、電話は呼び出しという物件だった。子供の頃に読んだ漫画、松本零士の「大四畳半シリーズ」やら「男おいどん」で学生はそういう物件に住むものと刷り込まれていた為、何の…

マンプク宮殿19 キリンメッツ&かき揚げ弁当&YOU AND I

「今年は過去最高の暑さ・・・」と夏が来るたび思っているような気がするが、実際今年は自分の体脂肪率の増加や高齢による体温調整機能衰え等を抜きにしても異常な暑さだった。過去形にしているのは現時点では通年の暑さに戻っているので一心地ついているか…

マンプク宮殿18 THE PUBLIC IMAGE IS ROTTEN

悪癖だと自覚していながら新しいものが出ると買わずにはいられないもの。コンビニに行くと必ずドリンクコーナーへ行き新商品が出ているかチエック。特に炭酸系のものは出ていると試さずにはいられない。それがどんなに無理筋で飲む前から失敗するのが明白な…

マンプク宮殿17 廃墟と青空

最近はとんと見なくなった洋楽アルバムや曲の謎邦題。映画の世界では未だに原題考えると何それ?みたいな邦題がチラホラだが洋楽の国内盤需要が壊滅的に無くなったこのご時世、音楽業界ではタイトルをひねり出す時間も頭の余裕も無くなってしまったのであろ…

マンプク宮殿15 好きではないけど懐かしい1

このタイトル、4年ほど前に出た坂本慎太郎アルバムの収録曲のものだが、良いタイトル。そういう感じするもの沢山あるある。 昔から自分が嫌いそうだ、趣味にも信条にも合わない、と思ったものは極力近寄らない、関わりを持たない、関わりが出来そうになった…

マンプク宮殿14 母のビンタとWe are time

音楽を聴いていて親に殴られた!という経験のある人は多いのだろうか? パンクやメタルのレコードを大音量で鳴らしていて「うるさい!」と怒られた輩は私の周りにも大勢いた。私自身もレコードを自分で買うようになった当初、KISSやDEEP PURPLEを夕飯後ステ…

マンプク宮殿13 帰省とFOOL’S MATE

年末年始の地方出身者の嗜み、実家への帰省を今年も無事行った。ここ10年ほどは実家へ戻る前に帰路途中の街へ立ち寄るという習慣が我が家にはある。秋田市、弘前市、そしてここ数年は仙台市に宿泊。冬の東北地方への旅、大雪の中での雷鳴に怯えたり、余りの…

マンプク宮殿12 ハマタイ!クリスマス

ここ数年来我が家の恒例行事として行われるクリスマス前後のイベント。夫妻とも若い頃からその手の行事にはあまり縁の無い生活を送っていた上、聖者の生誕を祝う気持ちなぞ毛ほども持っていない不信心者なので聖夜とは程遠いものになるのは明らか。 同日生誕…

マンプク宮殿11 学食の中華丼とHATFUL OF HOLLOW

学食の中華丼とHATFUL OF HOLLOW 80年代、バブル経済だったらしいが恩恵もなく、ロングコートに栄養失調気味の身体を包み若さを無駄遣いしていた英国音楽ファンの方々。今では私を含め中年から初老に片足突っ込み加齢臭漂う皆さまが今盛り上がっているのはTH…

マンプク宮殿10 アースバウンドと萩の月

各地方の土産菓子。私の出身地だと「○○○の玉子」がまあまあ知名度がある模様。しかし、東北地方の土産菓子で一番人気あるのが仙台の「萩の月」なのに異論はないだろう。上京してから数十年、帰省時に「お土産は萩の月で」と何度頼まれたことか。確かに地元の駅…

マンプク宮殿9 ホヤとヴァン・ダー・グラーフ・ジェネレーター(後編)

私が中学生の時出版された北村昌士氏(故人、当時は音楽雑誌FOOL'S MATE編集長。)の著作「KING CRIMSON 至高の音宇宙を求めて」という書籍、乏しい小遣いの中から必死で入手し何度も読み返していた。(今でも手元にあるが手垢と破損で見るもおぞましい状態…

マンプク宮殿8 ホヤとヴァン・ダー・グラーフ・ジェネレーター(前編)

その昔、仕事から帰ってきた父が晩酌でサッポロを飲んでいる時、傍らの皿に入っているオレンジ色の憎い奴、臓腑を掘り出したように見えるそれが「ホヤ」なる海産物だと認識したのは小学校を卒業するかしないかの頃だった。父のみならずお盆などで親族が集ま…

マンプク宮殿7 ビッグマックとCLOSER

どこの地方都市でも大体そうだとは思うが、私の育った街も1980年代初頭位までは全国チェーン展開している外食産業、小売業系の店舗は殆ど進出して来ていなかった。地元資本のチェーン店、個人経営店舗で商店街は形成され、どこも18時、遅くても19時には閉店…

マンプク宮殿6 100円タンメンとMarquee Moon

上京して最初に住んだ街は中央線の西八王子駅前から歩いて15分の散田町という所。通学に使うバスの停留所から近い&家賃安い割にまあまあ広い間取り(四畳半+三畳、風呂なし、トイレ共同)という理由で決めた物件だったが、住んでみるとこれがまた大変。1階…

マンプク宮殿5 南部煎餅と偽り

実家から東京へ出てきて驚いたのが食料品店の煎餅陳列棚に南部煎餅が殆ど見当たらない事だった。家の食卓上に煎餅が置いてあればそれはほぼ南部煎餅、それ以外のものは稀であった環境で育っていた私にとって地域的な食文化の差異を思い知らされた一件。食文…

マンプク宮殿4 コッペパンとThe Voice of America

いつの間にか全国区で知名度があがってしまっていた地元のパン屋「F田パン」。私が高校生の頃は昼飯前、3時限目の終わりくらいに学校に売りに来る新陳代謝全盛期の餓鬼御用達のパン屋だった。 かなり大きなコッペパンの横に切れ目を入れて様々な具を入れて…