私はなんとなくフランスが苦手だ。それなのに大学の第二外国語はフランス語を専攻してしまい、どうやって乗り切ったか全く記憶がない。フランス自体行きたいと思ったこともないし、今の今までかすったこともなく意外がられることもある。縁がないんでしょうね~。フランス映画もなんか、あの発音とコンセプトが苦手で敢えて見ようとはしなかった。だが、数年前にファッション界の巨匠イヴ・サンローランを、まるで生き写しのように演じているピエール・ニネという青年(当時24くらいか?)の殺気さえ感じるキレッキレッ感には結構打ちのめされた。
その彼が「婚約者の友人」という最新作に出ているという。「ああ~、知ってる知ってる、なんか、婚約者を友達が殺しちゃうって映画でしょ!」と、あっけなくタヌにネタバレされて、なんだ、そうなのかい!で、そのまま見ないでおいた。
結果、もっと早く見てればよかった!婚約者がからむ、何かベタベタのコマンタレヴゥ~な映画なのかと勝手に思っていたが、フランス語とドイツ語が混ざった、時代背景を忠実にモノクロとカラー映像で交互に映し出す、非常に美しい切ない名作だった。
1919年、第一次世界大戦後、多くの命が失われていた。当時の敗戦国ドイツ。「祖国のために戦え!」と息子を戦地に送り出したものの、大きな代償に苦しむ夫婦、その息子の婚約者アンナは悲しみに浸りながら戦後の日々を送っていた。亡骸も埋まっていない墓地に毎日のように墓参りに行くアンナ。秋には結婚するはずだったのに...
すると見知らぬ男が墓前で泣いているではないか...昨日も花をたむけてくれたのはあの人?
一目で「フランス人」と分かるのも日本人には不思議なものだなと思った。亡くなったフランツ(原題は彼の名前)も、まんま「ドイツ人」なのだ。戦前はフランスが大好きで一人で留学もしていたフランツだから、その時の友達が墓参りに来てくれたのね?もう戦争も終わったし...と、美しい誤解から話は進んでいく。
最初はフランス人なんか!と拒絶していた父親も、ある日現れた「婚約者の友人」アドリアンから生前の息子の話を聞かされるうち、まるで息子が帰ってきたかのように、生き生きとし始め、反フランス派の仲間の前で彼をかばうまでになる。アドリアンが語るフランツとの思い出シーンが急にカラーになるのも胸をうつ。
しかし、それがすべて「芝居」だと解ってしまう。アンナと見ている私達だけに。そこからが残酷だ。戦場で殺るか殺られるか選択肢のない状況で、目の前に敵国兵がいたら誰でも撃つだろう。でも殺る側にも殺られる側にも家族がいて、今まで生きてきた人生があり、これからの未来だってあるのだから。
忽然と姿を消したアドリアンを探しに、今度はアンナがフランスまで彼を探しにいく...勝戦国とはいえ、車中から見える荒れ果てた廃墟。戦争の惨さ。フランスに入れば「このドイツ人が」と途端に形勢は逆転する。どうにもならない運命に翻弄されながら、悲しい悲しい結末に向かって。
アドリアンが苦し紛れに語ったフランツとの嘘の思い出の中に、印象派マネの作品「自殺」が重要な鍵として出てくる。フランツの好きな作品だったと。エンディングはカラーに転換されたこの絵のドアップだ。決して綺麗な絵ではない。でも、自殺してでも生まれ変わって新しい人生を生きていってほしい、そんな無言のメッセージを感じました。そして、なぜか、常にピエール・ニネの顔が猟犬ボルゾイと重なり、タヌに検索してもらい、妙に納得しました。いい映画です。ぜひ。