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Episode 1706 : I would talk about it when I went to heaven 1

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冥途の土産話 1
 
これだけは墓場まで持って行き、鬼籍の人びとに是非とも聞いて頂きたい「冥途の土産話」を、墓場へ行く前に備忘として綴っておこうと思う。
 
今から7年前の5月、介護中だった父が亡くなった。生前の父看取り介護については過去に書いたが、 それに負けじと劣らず忘れられない思い出がある。
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在りし日の父 20代
 
納棺の日、忌引きに突入した私は、姉と主人合わせて3人で納棺に立ち会った。互助会に加入していた父の葬儀は提携している区立の斎場で取り仕切られ、葬儀前から葬儀後まで、葬儀会社が事細かに面倒を見てくれた。納棺当日も、会社でいえば営業担当のような男性が朝から車で迎えに来てくれて、納棺では、定番の死に装束ではなく生前お気に入りだったスーツに身を包み横たわる父を「お父さん、ちょっとチョイ悪にしてあげましょう」などシャツの襟元を立たせたりと、湿っぽくなりがちな納棺の場をよく響く低音の声と意外な展開で盛り上げる、中々ノリの良い方だった。
 
納棺が滞りなく終わると、少々不便な場所にある斎場から実家のある板橋まで、営業さんが再度車を出してくれる事になった。右に姉、左に主人、後部座席に横並び3名、営業さんの運転で帰路に向かう途中、間に挟まれぼんやりと携帯電話のニュースサイトを見ていたら「レインボーの元ヴォーカリスト、ロニー・ジェイムス・ディオさん69歳で逝去」という訃報が飛び込んできた。主人と結婚して音楽の趣味が拡がり、実家では聴いたこともなかった70年代ハードロックもBGMのひとつとして普通にかかるようになった中で、卓越した歌唱力で迫るロニーのヴォーカルはジャンルを超越した壮麗さがあり、我が家では「サブちゃん」と親しく呼ぶまでになっていた。特に初来日公演を収録した「レインボー・オン・ステージ」は元気が出る一枚として愛聴盤となっていたので、急な訃報に思わず「えっ、ロニーが亡くなったって」と声に出してしまった。レインボーリアルタイム世代の姉も「えっ、ロニーが」主人も「えっ、ロニーが」その瞬間、
 
「えっ、ロニーが」
 
それまで黙って運転していた営業さんが、突然後部座席にきびすを返して叫んだのだ。
我々3人は、ロニーが急逝したよりも営業さんが突然、しかもロックな話に割って入ってきた事に一同衝撃を覚えた。
 
営業さんは、堰を切ったように「私は、中学生の頃からドアーズが大好きで、その流れから洋楽にはまりまして…」と、自身のロック遍歴を延々と語り始めた。後部座席の3人はいずれも洋楽には腕に覚えのある者ばかりだったので、それからというもの実家に着くまでの間、4人で猛烈にロック談義に花を咲かせ、あっという間に帰宅した。
 
翌日からのお通夜から告別式の流れも、親しくなった営業さんがさらにきめ細かく我々や参列者をねぎらい、段取よく式を執行してくれた。いよいよ出棺の場においてもノリよく「やはりここは、ジ・エンドですよね」と話しかけてくれたが、さすがにそれは親族の面前で大きくスベっていた。
 


在りし日のサブちゃん 1977年ミュンヘン公演