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Episode 1803 : I would talk about it when I went to heaven 3-1

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冥途の土産話 3-1

このバンドの話は、叩けば幾らでも埃が出るため、各方面に影響が及ばないよう、これまで殆ど語る事はなかったが、自分にとって冥途の土産話度が高いうえに、現在の国内外における黙殺度を考えると既に時効は充分に過ぎたと思われるので、今でもそらで覚えている事を差し支えのない範囲で忘れないうちに数回に分けて綴っていこうと思う。

日本では、3月は今も昔も卒業シーズンだ。大学生の場合2月頭に後期試験が終わり、4月から社会人になる者にとっては、人生最後の執行猶予となる2か月近い休みを利用して、卒業旅行に出かける学生も多いだろう。学生の内向き傾向が取りざたされて久しいが、私の時代は1年越し2年越しでバイトをしたお金を貯めて、一人旅あるいはグループ旅行、期間の長短、場所の遠近を問わず、海外へ足を運ぶ学生が多かった。1989年、つまり平成元年に卒業を迎えた私の場合は当時英国音楽に没入していた為、当然イギリスへ単身渡った。安いB&Bを中心に恩師や姉の友人知人宅を転々とし、割と広範囲の地方都市を訪ね歩く中に、その2年前の1987年ごろファンレターを書いたら返事が来て、そのまま文通状態になった、あるバンドのヴォーカリストとも会う事になった。

場所はバーミンガムの隣県であるウスターシャー州で、ロンドンからは列車で2時間程で州都ウースターには着くが、市内に住んでいるわけではない。バンドのプロフィールではインクベロウという、かつてペストで全滅したというゴスな村に住んでいるという事になっているが、それは若干ネタに近く、例えば東京でいったら武蔵関からバスで20分+徒歩15分位の所に住んでいるのに「吉祥寺に住んでいる」と言うのと同じで、実際はインクベロウよりももっと田舎の、住所に番地もなく、村には4世帯しか住んでいない、車がないとどうしようもないのレベルを超えた猛烈な集落で、そこに同じバンドのギタリストである弟、そして両親と一緒に住んでいるという。交通不便なので、宿泊していたB&Bまで車で迎えに来てもらい、行きつけのパブにそのまま車で連れて行ってもらった。車でパブに直行、いい時代である。駐車場も広かった。

初めて会ったその日は、そのままステージですか?という位、英国小説の挿絵に出てくるようなバンド及び本人の定番スタイルである歴史ゴス系のいで立ちで現れ、お約束の懐中時計もつけていた。まだ自分たちのライブ未体験のファンが、日本からわざわざ会いに来たという気遣いが感じられた。憧れのミュージシャンを初めて立体物として目の前にした22歳になったばかりの私は、最初は頭が真っ白になったが、きつめのルックスからはちょっと意外な、どこか空気が漏れながら少し焦点の合わないもんやりとした話し方も手伝い、冷静に考えるとその白さが引き潮の様に抜けていくような会話が田舎のパブ屋で繰り広げられた。

まずは軽くメンバーの話になった。当時のドラマーは結成時在籍していたベーシストの弟で、バンドでは最年少なのだが「あいつ、毛が薄いから年取って見えるだろ?損だよなハハハ」と、いきなりハゲネタで笑いを取る態度にたじろいだ(その因果で、バンドの要だったこのドラマーはバンドじゃ食えない&ロンドンで就職を理由に脱退、暫くバンド活動が立ちいかなくなることになる)。彼はバーミンガムで写真学校を卒業後、バンドだけでは食べていけないため、副業として大手食品会社の商品パッケージ撮影をフリーランスで請け負っているが、それでも生活が厳しいので、数々のバイトをしているという。長く働いたのは近所の農家とローマ遺跡の発掘で、農家では主に子豚の世話係をしており「白いのとか、パンダみたいのとか、三毛とか、子豚はいろんな柄があるんだよ」大きさや形の両手ジェスチャー付きで子豚愛を熱く語りながら「子豚があんまりかわいいから、農家でバイトしていた時は肉が食べられなくなっちゃってさ」数年お肉を食べられなかったが、バイトを辞めたらあっさり食べられるようになったそうだ。今やっているバイトは、シェイクスピアで有名なストラトフォード・アポン・エイボン近郊のアルスターという町でローマ遺跡の発掘現場があり、募集のあった時に申し込んでおいて、週120ポンドで通っているという。「アルスターって言っても、アイルランドじゃないよ!!アハハ」すごく明るく言っていたので、多分そこは笑う所だったのだが、土地勘もなく当時のアイルランド事情にも暗い日本人相手には、派手に滑った瞬間だった。「すごく深い所まで掘らないと、ローマ遺跡は出てこないんだ…最初はヴィクトリア朝時代の食器とか出てきて、どんどん掘り進んでいくうちにようやく出てくる」かなり詳細に話してくれたが忘れた。ちなみに当時イギリスでの賃金支払いはまだ週給が一般的で、1989年当時の週給120ポンドというのは帰国後大学の恩師である英国人に聞いたところ、一瞬絶句して「最低賃金以下ですね」と言っていた。

話は一転ホロスコープの話題になり「星座は何?」というのでみずがめ座だと答えたら「僕はふたご座だから、お互い風の宮だね!だから君とは気が合うんだ」ギネスの1パイントをすでに3杯飲んでいた彼は、ようやくエンジンがかかってきたのか、この日一番気の利いた事を言った。かなり後になって、それはヒッピーの男性が初対面の女性に誕生日を尋ね、ホロスコープの話をして、運よく星の宮が一緒だと分かった時に言う1960年代の決め台詞だと雑誌か何かで知り、初対面で日本のファンに言うのが、それかよ…とある意味、トレンドが長持ちし過ぎている情報過疎っぷりに愕然とした。だが、この程度で愕然とする場合ではなかった。

次回、ウスター観光&お宅訪問→家族全員ご対面に続く!