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マンプク宮殿20 東秀とALIENATION

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 上京して最初に住んだ街は中央線の西八王子駅から歩いて15分、風呂無し、トイレ共同、電話は呼び出しという物件だった。子供の頃に読んだ漫画、松本零士の「大四畳半シリーズ」やら「男おいどん」で学生はそういう物件に住むものと刷り込まれていた為、何の疑問も持たず決めた物件だったが既に時代は80年代半ば、風呂無しに住んでいる学生は減りトイレ共同物件に住んでいる奴は既に少数派になっていたのにも気付かないまま住んだ家賃月25.000円也。1年間はそういう環境に疑問も持たず住んでいたが2年目になると部屋の隣に位置する共同トイレから響く夜中に飲み過ぎた住人が放つ様々な旋律、隣人の夜通し麻雀の音も筒抜け、そして何より住人内でかなりの割合を占めていた某団体付属大学生が選挙権を持つ年齢になるのを待っていたかのように投票のお願いやら「ビデオ持ってないので自分の持っているビデオを見せてくれ」とか言ってさるやんごとなき方のビデオを持って来たりする(当然門前払い)のに耐えかねて引っ越しを決意した。
 次の住処は京王線の千歳烏山。6畳+台所でトイレ付き、風呂は無かったが銭湯まで3分、駅までも5分。街は典型的な郊外私鉄沿線の雰囲気で商店街にはレコード屋も楽器屋も有り品揃えの中々良い本屋さえ数店ある。住環境は飛躍的に向上したが困ったのが食。西八王子では味はさておき300-400円で腹を満たせる食べ物屋が沢山あった(100円あればラーメン、タンメンが食える)がここは住人達の可処分所得が高いのか安い飯屋が少ない。大学も3年目になると毎日朝から晩まで学校に居る事もなくなり学食で全てを賄うという手段も使えなくなっていた。
 暫く街を徘徊して見つけたのが「東秀」なる中華料理チェーン店。今はイオングループで「オリジン東秀」という名前になっているようだが当時は安中華料理食堂をあちこちに展開していた。ラーメンと何かのセットで300-400円、定食でも500円以内に収まる価格帯で腹を満たすことが出来るのだが味は・・・

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中華東秀(公式ウェブサイトより)

 当時でも美味いと思って食べていた記憶は無いが舌より腹が最優先な当時、どんな酷い油を調理に使っていようと素材より塩、ソース、調味料の味が勝ろうと気にしなかった。しかし、30歳過ぎの頃に気の迷いで久しぶりに入店した後、壮絶な胸やけに襲われた時にいかに昔の自分が強靭な胃袋を鈍感な舌を持っていたのか改めて思い知った。この頃、かの店は「オリジン弁当」なるお惣菜と持ち帰り弁当を扱う業態で多数出店を始め、当時の住いの近所に出来た頃何度か利用したがやはり味は微妙で食べる度に胃の調子が優れなくなった。業態は変われども常に一定の作用を身体に及ぼすぶれない味付けに慄いたものだ。

 廉価中華料理でせっせ胃を痛めつけていた頃、熱心に聴いていたアルバムが今まで何度もこのコラムに登場するFOOL’S MATEという雑誌の初代編集長、北村昌士氏が結成したロックバンド、YBO2の1stアルバム「ALIENATION」。本人達はKING CRIMSON+THIS HEATみたいな事を言っていて両方とも好きな私は大層期待して聴いたのだがそもそも録音が良くない。ドラムはスネアと潰れたシンバル音だけが目立つだけで細かいニュアンスが良く判らない。ベースも低音がばっさりカットされて全体的にやたらハイ上がり。演奏もドラムとギターは良いのだがベースと何より歌がキツイ・・・ってこの2つ担当はリーダーの北村さんじゃないか!と非常に微妙な気分になるレコードだった。そうは言いながら買ったからには聴かなくては元が取れないと思い何度も何度も聴いているうちにベースも歌も聴き慣れて来るものだから恐ろしい、気付くと夜道で収録曲の「Boys Of Bedlam」を鼻歌で唄いながら歩いていたりもしていた。
 その後も豊島公会堂や新宿ロフトでライブを観て、新作が出れば買ってはいたのだが好きな筈なのにライブや録音に接するたびにモヤモヤした感覚がつきまとう。後に段々知識が付いてくると良いなと思う曲や旋律はトラッドのカバーだったり(前述のBoys Of Bedlamがそう)昔のマイナープログレ曲からの引用だったりするのが判ってきて段々聴かなくなっていった。

ALIENATION

 最後に姿を見たのは再結成後、自分が卒業した学校の学祭深夜イベントに彼等が出演した時だった(2000年11月)。明け方近くの時間に出てきたのだが轟音と共にヘロヘロのベースと歌が聴こえる中、不覚にも寝落ちしてしまいどんな曲を演奏したかも北村氏以外他のメンバーが誰だったのかも全く思い出せない。それから一時期彼等の音を全く聴かなくなった。多分東秀で胸やけ起こしたのと同じくらいの時期。

 更に時は過ぎ、2006年に北村昌士氏は死去。追悼イベントは開かれたが廃盤になっていたアルバムの再発も行われる事も無く忘れ去られていくのかと思っていたが2016年以降酷い作りのBOXセット(アナログ起こし針飛びあり、ライブ盤が曲間ギャップ設定ミスで1曲毎に無音部分有など素人以下の仕事)が出たのち漸く未CD化のアルバムが再発され未発表のライブ盤も2作発売された。そういえば後期の作品でちゃんと聴いていない物あったな、と思いまとめて聴いてみたが相も変わらず微妙な感覚が残る。嫌いじゃないんだけど・・・好きと言って良いものかどうか?評論家として知名度があった方が実際創作に向かった場合のパターンでこういうのがあったような気が・・・・あ!「シベリア超特急」だ!と何とも不埒な感想を持ってしまった。いや、好きなのですが。何といっても学生時代はこのバンドを手本にして曲を作ったりギター弾いたりしてきたのだから。間違いない。

 YBO2を久しぶりにまとめて聴いた今、久しぶりに東秀行けば又新たな発見があるであろうか(いや、無い)そもそも今どこにお店あるのか知らないし今の自分は耳の衰えもさる事ながら内臓の衰えの方が深刻なだけに無理は出来ない。止めておこう・・・