「高雄冠水(後編)」
台湾入りして3日目、いよいよ台風が上陸しようとする最中、私達は従姉の次男・建ちゃん夫婦の案内で父の故郷・麻豆から台南へと向かった。道すがら、台南の史跡である鄭成功がオランダ人を排除した城跡などを車で走ってくれるが、人っ子一人いない。通常進入禁止の所まで車で進み、荒れ狂う史跡を車中から見て廻った。そのうち港に出たので「ドライブしようか」と、一般的に台風が近づいた時に最もやってはいけない「海岸沿いをドライブ」が始まった。波しぶきで真っ白になった海を見ながら建ちゃんは「この海ね、私大好きなんですよ、どこか日本の四国の海を思い出してね、穏かでいいね」と懐かしそうだった。今にも高波にさらわれそうな海を目前に硬直状態の三姉妹を尻目に「市場、やってるかな」と、今度は店一つ出ていない市場に向うと一軒だけ店が出ており、車をみるやいなや中から厚化粧のおばさんが飛び出してきて「あんた達が来ると思って店開けてたんだ、茹でたてだよ、団子食べてって」と強制駐車。にんにくの効いた茹でたてのミルクフィッシュの団子は確かに美味しかったが、おばさんは朝からこれで何人客を引いたのだろう、客も店主も命がけだ。建ちゃんは親へのお土産に山ほど魚団子を買った後、一旦ホテルで解散し、夕食時再度会う事になった。
ホテルで一休みして、約束の時間にロビーで待っていると、建ちゃんが不機嫌な顔をしてやってきた。「レストランね、閉店で予約キャンセルされちゃったんですよ」公共交通機関を使って通勤している従業員を安全に帰宅させるため、行政が警戒警報を出すと企業は真っ先に閉店し学校も休校となる。急遽あいていた家庭料理店の個室に通されたが、壁付けのテレビからは台風による被害状況の模様や進路予測などが絶え間なく流れ、おちおち食事も喉に通らない。明日は麻豆で別れた従兄が迎えに来てくれ、高雄の叔母に会う予定だが、こんな状態で本当に高雄に行けるのだろうか。
翌朝ロビーで待っていると、従兄の代わりに建ちゃんがやってきた。「はっちゃん(従兄)ね、台風で麻豆から出られないって。それと高雄ね、冠水して道路封鎖で街に入れないから、今日も台南観光しましょう」何と、夜半に水かさが増し高雄に流入、一切の交通機関が麻痺し、高雄から出る事も、入る事も出来なくなったという。明日には帰国。私達はここで叔母には会えない事を悟った。
あれだけノープロブレムといっていた従兄は、警戒警報で1階の家財道具を夜を徹して上階へ運び上げていたそうで、精根尽き果てて来れなかったとの事。何でも昨年も自宅で台風に遭遇し、救命ボートも出たそうで、結構プロブレム満載の台風シーズンにやってきてしまった自分達を深く反省した。
帰国する日は一変、これぞ台風一過といった雲ひとつない晴天のなか、台湾新幹線の嘉義駅まで従兄に送られ、再会を約して定刻に台北をあとにした。