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ハンブルサーバントの独り言 Humble Mumble 8 アキヤマの弁当

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映画じゃないけど。

 

今は何でも食べれる時代だ。しかし、どうでもいいものが無性に食べたくなる。高校時代の母の弁当だ。キャラ弁でもなんでもない。質実剛健な弁当。匂いも色も移ってしまいそうな深めのタッパーにギュウギュウに詰め込まれた赤いスパゲッティ。表面には色よく茹でたサヤインゲンが散らされ、やや半熟の二つ切りのゆで卵が埋められていた。サイケだった。当時はレンジなんかない。硬くなった麵をほぐしながら口の周りを赤く染め一気に食べた。十代の私には凄いご馳走だった。

「生焼けだと怖いから」と真っ黒に焼かれた硬いハンバーグ。ソースとケチャップを混ぜたものが必ず塗られていた。砂糖とバターで茹でた橙色のニンジンの付け合せ。大嫌いだった。それに手元が狂って塩が利きすぎた厚焼き卵。個別に持たせればいいのに、これまた半分に切ったみかんが埋められていた。見た目がファンキーだからか、いつしか隣の席の女子が「おかず、交換して~」というようになり、あちらの卵焼きをもらった。まずかった。「アキヤマの弁当」はなぜかよそのクラスにも噂が広がり、前出のスパゲッティなどは、ひとくち食わせろという子もいた。懐かしいなあ。

 サンドイッチに到っては、母は食パンの耳あり派だった。薄く焼いた卵焼き。(なぜか和風味。やっぱり塩味きつめ)スライスしたトマトときゅうりにマヨネーズを塗り、むっちりとした二つ切りのサンドイッチの完成。切り目の色はやっぱり鮮やかだが、食べる頃にはパンまでジクジクになっていて、真夏など命の危機さえ感じた。「マーガリンも塗ってあるから大丈夫」母の真心は底なし沼のようだった。

 体の弱い母に代って、年の離れた妹の弁当を作るようになった。おかずは前日の残り物が常だが、白いご飯に紅しょうがで「デブ」とか「60キロ」とか書いてごま塩をいっぱいふった。ちなみに当時、私のハンバーグは母のそれを超え、あめ色玉ネギ入りのフワフワで自他共に評判の一品だった。やっぱり空いた所は半分に切ったみかんで埋めた。蓋を開けた途端、テンションがあがる(はず)。「また作って!」と言われればしめたものだ。

 この妹も長じて、今では行きがかり上行かず後家となった姉のために、旦那と自分の弁当の他に私の分も使い捨て容器に入れ、「明日、食べな」と、徒歩3分の我が家にでき立てのビーフンなどを夜届けてくれる(独居老人ではない)。醤油と長ネギ、椎茸、竹の子、豚肉のダシがよく染み込んだ焼きビーフン。これぞ母の得意料理だった。明日と言わず自宅で思わず早弁してしまう。おいしい。そんな時、あのどうでもいい「アキヤマの弁当」が走馬灯のように脳裏を駆け巡っていく。ママ、ありがとう。私たち、どうにかやってるよ。ごちそうさまでした。

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2010年秋、在りし日のタヌ家ガスコンロ。コンロはハン1が両親を看取り、実家を

整理した際に店主タヌが譲り受けたもの。鍋もヤカンも、勿論コンロも現役です