「おじいちゃんに会いたい(後篇)」
海外オークションで知合ってから3年、遂にイギリスのデイヴおじいちゃんとご対面の日が来た。駅で両手を広げ待ち構えていたおじいちゃんに、むぎゅうううとハグされ、ぶちゅううううと真正面キスされ「よう来た、よう来た」と大喜び。おばあちゃんと3人で「まずは家に帰ろう」と車でご自宅に向った。駅を離れるとすぐに美しい田園風景が広がり「ここが見えると家なんじゃ」という小路を過ぎてお宅に着いた。庭には格子で区切って玉砂利を敷き詰め、謎の石灯籠と、昨年私が贈った信楽焼の狸が置いてある一角が造園されていた。「『幸子の庭』じゃ」そこは、私の名前が付けられた「日本庭園」だった。
滞在中は、朝はおばあちゃんお手製のジャムにクランペット、おじいちゃん特製ミューズリーにミルクティを頂き、昼はお住まいの村や景観地、古城等を厳選して案内して下さり、夜はおじいちゃんの手料理を御馳走になった。「米の炊き方を教えてやろう」と米料理を一緒に作った日もあった。おじいちゃんは事あるごとに感極まってむぎゅううう、ぶちゅううう、だった。そしておじいちゃんもおばあちゃんも話が止まらなかった。子供の頃ロンドン空襲に遭った話、ふたりの諸国旅行話、お母さんを看取った話、地元ピーク・ディストリクトやイギリスの歴史、各種うんちくや昔話に武勇伝、そして…自転車競技の話。これまでも自転車の話はよく伺っていたが、英語力の乏しさから、趣味で自転車に乗るのが好きな位にしか思っていなかったのだが、ふと見ると居間や食堂の棚には、所狭しと盾やトロフィー、レース中の写真が飾られ、さらにはおばあちゃんのレース写真も。おじいちゃんはスプリント選手、おばあちゃんはかつて女性で初めてツールドフランスに出場したイギリス女子チームの代表選手だったのだ。お二人は自転車競技で知合い結婚、かつてのライバルは今や皆60年来の親友という。帰路訪ねた親友ご夫婦も元選手。只の年寄り連中ではなくバリバリの元アスリート集団だったのだ。だからこんなに「熱い」のか!
もう一つ、熱烈真摯な理由が判った。ご夫婦には子供がおらず、実の妹も早逝、残された一人息子を実子同然に可愛がっていたが、年明けに交通事故で亡くし、甥御さんの家族とは疎遠で、悠々自適な一方で寂しい思いもしているのだ。娘のように可愛がって下さるお気持ちを、肌で受止める事が出来た。おじいちゃんは、私が帰る日が近づくにつれ、食事が喉を通らなくなっていった。
帰国の日、次はいつ此処に来れるかと思うとお宅を出る際泣けてきた。すると「泣くんじゃない。君が泣いたら、わしも泣けてくるから」と余計泣けてきた。空港まで4時間もかけ車で送って下さり、時間の許す限り最後のお茶を楽しんだ。「さあ、わしらが守ってやれるのはここまでじゃ。無事に帰るんじゃよ」搭乗ゲートで3度お辞儀をして別れた。機内では泣きどおしだった。
会えて良かった。本当に、夢のように楽しい幸せな数日間だった。