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Episode 1709 : The Disappointed 2 / Ms. Ashura

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練馬残念猫2 アシュラさん 
 
主人と入籍して最初に住んだ集合住宅のそばには、小学校が隣接する公園があった。当時は沢山の動物が住みつき、それに対し誰もが何の疑問も抱かず温かく接していた。しばらく公園で暮らす間に頼れる人間と出会い、飼い猫に昇格する強運の猫もいたし、地域猫活動も盛んで、毎朝バケツでお湯を運び、皮膚病に苦しむ猫の足を洗ってあげているお婆さんや、毎晩定時に段ボール箱が運び込まれ、そこで寝泊まりする猫もいた。ある時から無情なまでに整備され、多くの樹木が切り倒され、動物進入禁止、砂場使用禁止、球技禁止…と公園の楽しさを根こそぎ削除した現在のその公園からは想像もできない「楽園」のような場所だった。そこにアシュラさんも住んでいた。彼女は洋猫の血が色濃く姿に現れた、眼光の鋭い長毛の三毛猫で、顔の半分が黒く、引越当時は同じ腹の姉妹と思しきそっくりな白黒の猫もいたが、「銀猫」と呼んでいたアシュラさんのきょうだいは、足しげく公園の向かいのアパートに通った結果、飼い猫に昇格し、その後外には現れなくなった。一方アシュラさんは、地域猫活動家の手厚い庇護を受け、朝晩の食事と公園のベンチに設えた段ボールの寝床を保証され、自由な生活を満喫していた。気に入った人間が通りかかると、媚を売るでもなく、かといって逃げるでもなく、ふんわりと長い尻尾を立てて近づいていくが、夜9時を過ぎると判を押したように段ボールハウスに入ってしまい、幾ら声をかけても「本日の営業は終了しました」状態で、てこでも出てこなかった。
 
アシュラさんは、公園を中心とした猫社会の女ボスだったらしく、なんと自分の母猫まで縄張りから追い出し、コミュニティ内の猫には一目置かれていた。地域猫活動のおばさんに何度かアシュラさんの話を伺う機会があったが「え、みーちゃん?この辺の猫はみんなみーちゃんにビビってるわよ。でも男の趣味は悪いんだけどね」と、この迫力で巷ではあっさり「みーちゃん」呼ばわりされているのに驚いたが、おばさんが言う所の「趣味の悪い男(後述)」とあしゅらさんが、確かに人様の屋根の上で玉になって寝ているのを見たことはあるので関係は否定しないが、近所の人に男の趣味まで周知されている程のプライバシー侵害を受けている猫に初めて会った。
 
アシュラさんは、公園に来る人間には凛としていながらも、常に相手の様子を伺い、励ます事すらあった。ある日、仕事で精根尽き果て、あと数分で家という、そのもう少しが踏み出せず、公園のベンチで一休みしていたところ、暗闇の中からふわっとアシュラさんが現れた。地面から人の顔を覗き込むように私を見るなり、とんとん、とベンチにあがり、私の膝に乗ってきたのだ。私はびっくりしたが、アシュラさんの思いやりに感謝して、そのまましばらく膝の上のアシュラさんと無言の語らいを楽しんだが、じわじわと太腿がかゆくなってきたので、せっかくのご厚意だったが「どうもありがとう、帰ります」と挨拶してベンチを立った。アシュラさんも、別に驚く事もなくベンチを降り、段ボールハウスへと入っていった。
 
ある年、公園に子猫が大量発生した時期があった。地域猫活動のおばさん達のお世話になりながらすくすく育った姿はほぼ大人だが、中身はてんで育っていない年頃の若猫の中には、野良生活でだんだんすれっからしになっていく者もおり、手を伸ばした際、急に引っかかれそうになった。その瞬間アシュラさんが「ギャギャッ!」と金切声をあげ、その猫を横から2発引っぱたいたのだ。女ボスに2発も食らった若猫は「ちっ、なんだよババア」とでも言いたげな顔ですごすごと去って行った。そうやって人への仁義を教える猫というのも、後にも先にも彼女以外会った事がない。
 
地域猫活動の中心だったお婆さんが、脳梗塞で倒れ、車椅子生活となったという話を聞いた頃、公園は世論の時流に乗って動物進入禁止、遊具の撤廃、大規模な樹木の伐採を急ピッチで進めていた。1年位経ち、公園はいきものの息遣いを感じない、ただの管理区域に変わり果てた。地域猫活動も息の根を止められ、アシュラさんや他の猫が休む段ボール箱も置かれる事がなくなり、そのうちにアシュラさんを初めとする猫は姿を消した。
 
最後にアシュラさんと会ったのは、10年前現在の家に引っ越した際、主人が「久しぶりに公園でも行ってみるか」と足を運んだ時だった。運よく、数年ぶりに見かけたアシュラさんは、元々単色の体毛が更に薄三毛になり、毛艶も悪く、人間でいったら少し認知症のような目つきに変わり、私たちの事は毛頭記憶にない、といった表情で土の上に横たわり、こちらをぼんやり眺めていた。実際相当の高齢だったと思うが、日々の飲食に事欠いているような荒んだ風ではなかったのがせめてもの救いだった。その公園に足を運ぶ事は殆どないが、そばを通ると今でもアシュラさんの凛々しい姿を懐かしく思い出す。

 

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軽トラックの上で正座するアシュラさん 2005年ごろ

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2006年ごろ 玉アシュラ