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Episode 1806 : I would talk about it when I went to Heaven 3-4

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冥途の土産話 3-4
 
【前回までのあらすじ】学生時代文通し対面叶うも、活動の失速と共に音信不通となり、過去の思い出となっていたゴシック・ロックバンドが、まさかの来日?!しかも来日間近に本人から直接連絡が!吃驚仰天続きの2015年春、人生、ノンストップ!
 
正月明けに来日が決まり、信じられない思いに反して脊髄反射でチケット購入はしたものの、果たして本当に来日は叶うのか、当日箱に入るまで、この眼で本当に見るまでは信じられない。というのも、このバンドを招聘したプロモーターは、採算を考えるとどこも呼ばないようなバンドや、あの人は今的な化石バンドを招聘してくれる唯一無二の存在ではあるが、それと同時に来日中止になる確率も他の呼び屋では考えられない程高く、まず半分か、いや2/3の来日は延期か中止になっている。現在もこの呼び屋は営業しているが、ライブは観たいが中止になった場合のダメージが大きいので(払い戻しの手間だけでなく、場合によってはライブ日程に合わせ、宿泊や飛行機・新幹線など移動の手配をしている遠方の方にとってドタキャンは被害甚大)、最近では皆トラブルを避ける為当日券で観ようとするため前売りが売れない→動員のめどが立たない→中止、という負のスパイラルに陥っており、中止になる確率はうなぎ登りだ。だから、来日の数週間前に文通相手から最初にメールが来た時は動揺するも「本当に来るんだ!!」と安堵もしたが、何往復かやり取りするうちに、来日公演の10日前に来たメールには、その安堵を揺り戻すかのような内容が綴られてきた。
 
「来週には日本へ発たなければならないのに、興行ビザがまだおりないんだ」
 
来日アーティストは、在外日本大使館が発行した興行ビザなしで入国し、演奏活動を行う事が明るみに出た場合は入国が出来ない。またアーティストが自分の国の日本大使館に直接申請するのではなく、呼び屋が法務省入国管理局に在留資格認定証明書を発行してもらい、それをアーティストのいる国の日本大使館へ郵送し、大使館が発行した興行ビザをアーティスト本人が直接取りに行って、初めて飛行機に乗って日本に来れるのである。そのビザを発行する為の在留資格認定証明書を「呼び屋が手配できていない」ため、当然ビザも発行されていない。出発は来週。大使館はロンドン。メンバー全員がロンドン在住でもなく、特に文通相手は現在ジュネーブに住んでおり、刻一刻と迫る出発日に固唾を飲んで待っているという。ああ、こんなのは枚挙に暇がないからドタキャンばかりなんだろうな…裏話をまさか来日バンド側から聞かされるとは思いもよらなかったが、メールは「ライブの前でも後でも良いから、会いに来て」と締めくくられていた。
 
会いたいのは山々だが、ロックバンドの来日公演で出待ちなどしたことがないし、そもそも事前に呼び屋に「メンバーから呼ばれているので」と申し出たところで、誠意ある対応をしてもらえるとは到底思えない。幸い興行ビザは出国前日に無事発行されたと連絡があり、ライブ前日にメンバー全員入国した旨が呼び屋のSNSに上がったのを見た足で、ライブ会場そばのデパートで祝来日シャンパンを手配し、万が一会うタイミングを逸しても一応ライブには来たという証拠を残そうと、ライブ初日にバンドが会場に入る時間を見計らって楽屋に届けてもらう事にした。東京で2回行われたライブは、整理券№が1桁に近かったのでほぼ2日とも最前列エリアで観る事が出来た。やはり、パッケージビデオや動画配信で観るのと、まさしくライブで観るのとは感激が違う。そして長年ファンではあったが、ここまで動的な、ロックバンドとして王道のステージを展開するバンドだとは思わなかった。
 
最近の中小規模のライブは物販(マーチャン販売)が主たる収入源となるため、ライブの前後に物販を行い、特に終了後は物販で購入したTシャツやCDなどにサインをしてもらうMeet&Greetタイムが設けられている事が多く、ご多分に漏れずざわざわと会場に残留した大半のファンが整列し始めた。満席で200人程度のライブハウスに八分入りの初日、この客が居なくなるまで待つのもどうかと思い、挨拶だけして帰ろうと、列に並んだ。ステージは勿論、ファンと握手をしたりサインをしている仕事中の文通相手を見るのは初めてだ。前の人にサインを書き終わる頃「お久しぶりです」と声をかけた。入国後の連絡先は事前にきいていたが、特に急ぎの用事もなかったので、こちらから一切連絡せずに突然本人の目の前に現れた形となった為、声をかけた瞬間文通相手は驚きで軽くのけぞった。そして次の瞬間、猛烈な笑顔で握手をした。バンド写真はもちろん、学生時代に会った時でさえも見たことのないとてもいい笑顔で「ライブはどうだった?」と聞かれ、一言「Brilliant !」と答えた時、更に光量の増した笑顔で「良かった!」と嬉しそうだった。「シャンパンどうもありがとう、明日のライブが終わったらみんなでいただきます」私も嬉しかったが、再会の握手からずっと手を握られっぱなしというのが、後ろにまだまだ並んでいるファンの手前何ともばつが悪く「また明日来ます」と挨拶し、初日は早々に帰った。
 
2日目は更に動員が減って、60人いたかどうかの客の入りだったが、2回公演を終えたメンバーが、Meet&Greetの前に一旦楽屋に戻った後、全員でグラスとシャンパンを持って現れた。前日よりぐっとリラックスした雰囲気のグリーティングタイムで、再び文通相手と、同じく26年ぶりに会う弟が私のあげたシャンパンを勧めてくれたが、全くの下戸なので断ると「なんだよ!君がくれたシャンパンなのに、いいのかよ!!でも久しぶりだね、だいぶ前うちに遊びに来たよね?26年ぶり?もうそんなかよ!!」快活な弟は当時と全く変わっていなかった。
 
沢山のファンが参集する中、文通相手が「ちょっと待ってて」と、突如楽屋に走って行った。数分後、モレスキンみたいなゴムバンドのついた黒いノートを手に持って戻ってきた。ゴムバンドを外し、ノートのポケットから1枚の写真を取り、得意そうに差し出した。「ほら、一緒にマルバーン山に登った時の写真だよ!」そこには22歳の私が映っていた。マルバーン山という超ローカルな名前が飛び出し、弟をはじめウスターシャー出身のメンバーは爆笑、私は赤面、腹を抱えて笑うメンバーをよそに周りの人はさっぱり訳が分からない。パブリック・イメージとは程遠い、泣き笑いで話が止まらないゴスバンド。客もメンバーも、動員の悪さから「もう二度と、日本では会えない」ことはわかっている。だから、呼び屋が早く出て行け!ライブは終わった!と幾ら叫んでも、そこは触れ得ざる異空間の様に時が流れていた。「また、連絡を取り合おう」そう約束して、私は会場を後にした。
 
 
 

ハンブルサーバントの独り言 Humble Mumble 20 判決前夜 Before and After (1995, USA) あるいは美少年

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誰もが知ってるシュワちゃんのターミネーター・シリーズは大好きだった。特にタミネ2で彗星のように現れたエドワード・ファーロング(当時14歳)の普通の子供とは思えない愛らしさにはハート鷲掴みで、何回も何回も見たっけな。さぞやステキな青年に成長していることだろうと作品を探したが、KISSのコンサートに行くのに死に物狂いになる「アホ」を演じたDetroit Rock Cityでは見事に期待を裏切られた。何かトンカチでたたかれたように、ずんぐりむっくりな青年になっていて目を疑ったが、話は面白かったのでヨシとした。 

 

最近、偶然「判決前夜」という映画を発見した。「ハンケツ???半ケツ⁈」と別次元でタヌ夫婦は興奮していたが(笑)、タミネ君撮影直後の作品なので、まだ17歳位。父親がリーアム・ニーソン、母親がメリル・ストリープという、それだけでも大変そう~と思ったが、期待は見事に報われた。

ニューハンプシャーの小さな町で彫刻家の父と小児科医の母を持つ息子に、元カノ殺しの容疑がかけられる。子供を守るためなら証拠隠滅でもなんでもする父、真実を正直に世間に訴えなくてはいけないと主張する母、どうしていいかわからない本人、手の平を返したように冷たくなる町の人々。オレ流を貫く弁護士、家族の絆って...その葛藤を描いていく。

物語の冒頭、静かな町の景色を映しながら、妹のモノローグで進んでいく。「ある’一瞬’を境に、すべてが変わってしまう瞬間がある。すべて悪くなるわけではないけど、もう二度と元には戻れない’一瞬’が。Before and after...」と。

 

他にもっといい子いなかったのかというくらい、ビッチビチな彼女に弄ばれるエドワード君。車の中で彼女に「赤ちゃんができたの」と告げられたときの、まだ人生経験10数年しかないティーンエイジャーの困惑ぶりを何よりも雄弁に語っている「無言」の表情だけでも、この映画は見た甲斐があった。

その彼も今はもう40代。さぞやステキな大人に成長してるだろうと検索しまくってみた。

ううう、時間は残酷だ。子役あがりお決まりの?ドラッグ、アル中、DV、離婚、おまけに超肥満になっていて、生き様が全身から匂いだっているのだ。カルヴァン・クラインのモデルまでやったのに~。 

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エドワード・ファーロング before and after

失意の中、検索を続けていると渋いオジサマが出てきた。美少年繋がりなのだろう。あの名作「ベニスに死す」で名優ダーク・ボガート様を翻弄した、妖艶なタジオを演じたビョルン・アンドレセン!大好きだった!出てくる、出てくる、とても人間とは思えない15歳当時の綺麗な写真!確か来日もしていて、欽ちゃんの番組に出ていたのを覚えているが、タジオのイメージがついてまわり、その後はあまり映画には出ず、元々好きだった音楽で身を立て、妻子にも恵まれ、ステキな北欧紳士(63)になっていて、ほっとした。大きなお世話だが。

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ビョルン・アンドレセン before and after

ピンク・フロイドのロジャー・ウォーターズのように、若い頃は恐ろしいほどのウマヅラでキモイのでなるべく見ないようにしていたものの、近年ではアブラが乗り切って、リチャード・ギアばりの「ええ~オトコや~」になってる人も散見する。やっぱ、人って生き様がでるよな~と感慨にふけってしまいました。

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ロジャー・ウォータース before and after

なお、絶世期の美少年、おふたりの絵を描こうと思いましたが、「絵にもかけない美しさ」故、タヌさんにサイトから適宜選んでもらいました。特にエドワード君に関しましては、本人の名誉のため、どん底写真は控えさせて頂きます。あしからず!(何様のつもりだ!)

マンプク宮殿17 廃墟と青空

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最近はとんと見なくなった洋楽アルバムや曲の謎邦題。映画の世界では未だに原題考えると何それ?みたいな邦題がチラホラだが洋楽の国内盤需要が壊滅的に無くなったこのご時世、音楽業界ではタイトルをひねり出す時間も頭の余裕も無くなってしまったのであろう。玉石混淆なのは世の常で8割方はしょうもないタイトルがつくのだがその中でも未だに邦題じゃないとしっくり来ないものもある。

「原子心母」「怪奇骨董音楽箱」「21世紀の精神異常者」「こわれもの」「さかしま」「地獄の狂獣」「対自核」ここらへんは原題直訳みたいなものもあるけれど邦題で発音しないとしっくりこない。

The Man From Utopia

 「ハエ・ハエ・カ・カ・カ・ザッパッパ(写真上)」とか「フランク・ザッパの○△□」とか「マイコさん」とかジャケ写見た印象や歌詞聴いて空耳アワー状態で付けられたであろう邦題は何だろうなあ・・・・担当さんが超多忙で頭飛んでいる時にでもつけたか、飲み屋で馬鹿話した勢いで付けたか・・・・想像を逞しくする。(前2つは両方ともフランクザッパのアルバム。80年代頭のザッパはこういうタイトルが多くて当時音も聴いてない私はすっかり色者アーティストだと思っていた。最後の1つはフリートウッドマックのシングル。原題は「Coming Your Way」なのに何故に舞妓さん?歌詞の中に「マイコサーン」と聴こえる部分があるのでそこからなのだろうが・・・御丁寧にジャケ写も舞妓さんの写真が中央に大きくレイアウト。アーティスト写真は左下に小さく・・・と。まあ楽しいから良いか。

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 AOR系で多かった「愛」や「渚」「潮風」「ときめき」等がつく邦題は抹殺!ここらへんの単語が目に入っただけで未だに虫唾が走る。でも原題でシングル出してもここらを好んでいた方々には響かないのだろうから売る為には正しかったのでしょう。そもそも私のような輩に買ってもらおうとは思ってないだろうし。「愛」より「淫欲」!「ときめき」より「燃える欲望」!の方が良いですよ私は。

 私が好んで聴いていたジャンルはレコード会社もそんな力入れてなかったのだろう、原題そのままカタカナ読みで付けた邦題が多かったので脱力する事がそれほどなかったのは幸い。しかしそうなると淋しくもあり、特に直接的なタイトルのものは勝手に邦題を考える事もあった。

ミート・イズ・マーダー(紙ジャケット仕様)

THE SMITHSというバンドがその餌食になる事が多く

「MEAT IS MURDER」→肉喰うな!(これは帯のキャッチコピーにありましたけど)

「THE QUEEN IS DEAD」→女王崩御

「VIVA HATE」→憎悪礼賛

など勝手に思いついて楽しんでいた。

IV(廃墟と青空)+ボーナス・ディスク付き

 で、表題の「廃墟と青空」。これはドイツのバンドFAUSTの4枚目のアルバムで原題はシンプルに「FAUST Ⅳ」なんだが聴こえてくる音がまさしく邦題通りのイメージで感心しまくった覚えがある。一番好きな邦題はこれ。

 映画だとあれだな・・・原題「CROSS OF IRON」邦題「戦争のはらわた」これに尽きる。どっちもドイツだな。なんでだろ?

戦争のはらわた≪最終盤≫ [Blu-ray]

Episode 1805 : I would talk about it when I went to heaven 3-3

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冥途の土産話 3-3

【前回までのあらすじ】卒業旅行の道中で、色々お世話になったゴシック・ロックバンドの中心メンバー。山登りに観光案内、お宅訪問と盛り沢山の日々だったが、会えば会う程それでいいのか感炸裂の面白すぎる日常が見えまくるモーメントが頻発!人生、ノンストップ!!

 

第3回

大学の卒業式前日にイギリスから帰国した私は、翌月から一般企業の正社員として新しい人生が始まったが、学生時代に洋楽雑誌の編集メンバーとして寄稿や翻訳を担当していた縁で、社会人デビューから数か月遅れで歌詞対訳家としての依頼もいただくようになった。その流れで当時国内契約のなかった文通相手のバンドの新作が、フランスのレーベルからの迂回スポット契約という形で日本でも発売される事になり、そのインナースリーブ(解説)と歌詞対訳の依頼が来た。歌詞対訳にあたっては、詞の世界や作品の背景を直接書いた本人に確認できるのは非常に有難かったし、何より長年応援してきたバンドの国内盤リリースの一端を担わせて貰えたことはファンとして光栄だったが、その喜びもむなしく、バンドは契約問題や英国内の流通会社倒産などの衝撃に呑み込まれ、苦戦を強いられることとなり、5年ほど続いた手紙のやり取りも返事を書かないうちに自然消滅した。今はどんなマイナーなバンドでもたいてい公式サイトを立ち上げ、自発的に情報発信しているが、1990年代前半はまだインターネットが家庭に普及しておらず、自宅にパソコンがやってくる数年前の話で、活動が停滞しているバンドの現況を把握するのは困難だった。数年に一度新譜を輸入CD店で見つけ、生存確認しているうちにインターネットが普及し、このバンドも公式サイトが登場したので、直接連絡を取らなくても最低限の活動状況は漏れ聞こえてきた。バンド活動の中心はヴォーカリストの兄からギタリストの弟にシフトし、この弟が結構しっかりものでCDの直販から問い合わせの回答まで一手に引き受けていた。公式サイトが出来た頃には作品が完全に自主制作盤となり、新譜は輸入店にすら入荷しなくなったので、サイトから直接購入した。そんなある日、その8年後に何が起きるか知る由もなく、公式サイトに初めて問合せのメールをしたのが2007年、下記の話である。

英国中西部が大洪水、という平生の日本ではまず取り沙汰されないニュースに震撼した私のメールに、2時間もしないうちに返信してくれたのが弟だった。自分はロンドンだし、兄貴はジュネーブに居るから大丈夫だよ、小屋は流されたけどね…もうウースターシャー州のド田舎には誰も住んでいない事から、高齢のご両親は亡くなったのだと判った。まあ、みんな無事ならいいや。その返信をもって連絡は終了した。その後も新譜が出るとサイトから購入し、プチプチ封筒の宛名が兄そっくりな筆跡の弟の手書きで、発送も自宅かよ!と縮みゆく活動規模に諸行無常を感じたが、画面ひとつで活動状況がわかり、新譜が手に入るのは、インターネットの恩恵を体感する最たる事例のひとつだった。SNSページも出来てフォローをし、最新ライブの映像は折々Youtubeで見つかるし、メンバー本人の自宅にまで呼ばれていながらライブを生で一度も見たことがない事は悔やまれたが、ファンとしてはそれで充分だしそれ以上の興味もなかった。

2015年の仕事始め、帰宅途中の丸ノ内線でフェイスブックを見ていると「5月来日決定」と告知が飛び込んできた。来日?嘘でしょ?最後に国内盤が出て25年も経っているんだよ?池袋に着いて、暫く、結構長い間茫然と立ちすくんだ。自分の中では青春の一コマで既に終了していたあのバンドが、来日?混乱しながらも気付いたら招聘元に電話をし、2公演とも押さえていた。招聘元にチケットを引換えに行くと社長がいたので来日について聞くと「ホントはサッド・ラバーズ&ジャイアンツと抱き合わせで呼ぶつもりだったんだけど、結構サドラバのギャラが高くてさ、諦めて単発で呼ぶ事にしたんだ。このバンドはリーズナブルだったんでね…でも交渉に3年かかったよ」そうか、提示額が安くて呼べたのか…少々しんみりしたが、チケットの通し番号が一桁台というのも不安を感じた。

かつてのやり取りを知っている友人には「連絡取らないの?せっかく初めて日本に来るんだし、会いたくないの?」と何人にも言われたが、自分としては会って話すこともないし、そもそも26年も前の話で相手は覚えてないと思うよ、と観客の一人としてライブを楽しむに限ると思っていた。そうして冬が終わり4月になったある日、毎日受信するスパムメールを寝る前iPhoneでサクサクゴミ箱に放り込んでいたら、件名に「Tokyo」とだけ書かれた、見覚えのある名前のメールが1件あった。アドレスを見ると末尾がchなのでスイスからだ。ん?とメールを開くと、それは名前の通り、かつて文通していた本人だった。

「バンドのサイト宛に来た古いメールを見てたら、偶然見つけたんだ。僕ら昔文通してたよね…今度東京でライブをやるんだけど、知ってる?」

来日の告知にも驚いたが、まさかバンドのHPから逆探知で本人からメールが来て、ロックオンされるとは思わなかった。

 

次回最終回、数々の難所を乗り越え悲願の初ライブ、そして26年ぶりの再会!長くなってすみません!!

 

ハンブルサーバントの独り言 Humble Mumble 19 : 光をくれた人 The Light between oceans(2017)

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見終わった後、場面場面を思い出すたびに、どんどん悲しみが蘇ってくる、地味だけど忘れられない作品になりそうです。

 

知らなかったけど、超セクシ―俳優として、絶賛ブレイク中だというマイケル・ファスベンダー。役によって全く個性が変わる方のようで、黒人差別問題を取り上げた「それでも夜は明ける」で猛烈に酷い農場主を演じていたあの人!「ジェーン・エア」のあの旦那様!「アサシンクリード」の、あの末裔!「Shame」という作品では全裸で本当に恥ずかしい役を熱演してるというけど、私の中ではこの作品の主人公トム=本人で留めたいほど役になりきっていて素晴らしかったです。

お相手は「リリーのすべて」でリリーの奥さんを演じていたアリシア・ヴイキャンデル。

?光をくれた人 [Blu-ray]

 1918年末。多くの尊い命が失われた第一次世界大戦後のオーストラリア西部の町。160キロ先のヤヌス島の灯台守の仕事につくトム。フランスの最前線で4年戦ってきた元軍人。相当の地獄を見てきたのだろう。おそらくは何人か殺めてもいるのだろう。灯台の前任者は病んだ末自殺。「あんな辺鄙な場所の灯台守なんて、誰も希望しないのに」と不思議がられるも、「孤独は覚悟の上。家族も誰もいない。とにかくひとりになりたい」と志願。自分は決して幸せになってはいけない人間だと、暗く無口で、まるで自分に呪いをかけているかのように。

しかし、町の名士の娘、聡明で快活なイザベルと魅かれあっていく。イザベルも兄二人を戦争で亡くしている。「奥さんは夫が亡くなると’寡婦’になるけど、「母」や「父」はそのままなのよね。違う呼び方がないの。私も「妹」のままなのかしら。」

 

島には灯台守しか住んでいない。それでも望んでイザベルはトムと結婚する。「もう一度生きてもいいのかもしれない。」心を開いていくトム。いつも風がつよく厳しい環境。誠実に働き、仲良く暮らしていくものの、イザベルは流産を繰り返す。丘の上に「remembered always」と記された小さな十字架が2本。心を病みそうな時、奇跡が起きる。手漕ぎボートが浜に漂着し、男性の亡骸と生後間もない女の赤ちゃんが乗っていたのだ。

すぐに本土に信号を送らなくては!使命を優先するトム。しかし「これは偶然じゃない、神様が赤ちゃんを送って下さったのよ。私たちは何も悪い事はしていない!」選択の余地のない切羽詰まった妻の悲願に折れ、二人は「早産」ということにしてルーシーと名付け自分の子として育てる事に。なんという幸せ、喜び、すくすく育っていく「娘」。

しかし洗礼のため訪れた本土の教会の墓地でトムは墓前で泣いている女性を偶然見かける。墓碑には「愛しい夫、娘グレース、海に消え、神のみもとへ。4月26日」ボートが漂着した前日の日付。

そこから夫婦の苦悩が始まる。罪の意識に苛まれ、「赤ちゃんは無事です。夫君は神の御許で安らかに」とメモをポストに入れてしまうトム。さらには当時手漕ぎボートに落ちていたフクロウのガラガラまで匿名で送ってしまう。

亡くなった男性はドイツ人だった。墓前で泣いていた地域一の富豪の娘ハナも敵国ドイツ人との結婚は猛反対される。周囲の風当りも強い。それでも幸せだった。子供も産まれた。

「あなたは辛い思いを沢山してきたのに、いつもハッピーそうね」回想するハナ。「一度赦せばいいんだ。いつも憎んでいると疲れてしまうだろ。」子供をあやしながら笑う夫。しかし、多くの家族を失い苛立っている地元民に嫌がらせをうけ、さすがに危険を感じ赤ちゃんを連れて手漕ぎボートで海に出てしまう。元々心臓が弱かった彼は海上で息だえてしまう...

捜査の手が伸び、引き離される「親子」。もう4歳、実の母に懐かない娘。すべての罪を被り死も覚悟で一切言い訳をしないトムの姿が痛い。「一度赦せばいいんだ」と言いながら不条理に命を失ったドイツ人男性。この映画の登場人物はみんな傷ついている。

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数十年後、一人余生を送るトムの元に若い女性が赤ちゃんを連れてやってくる。成長したルーシー・グレースだ。法的に会うことは禁止されていた。もうイザベルは他界している。それでも会いにいきてくれた。別れ際、老いたトムをハグするルーシー。その刹那、ひとこと私の心に浮かんだ言葉、「Forgiven」泣きました。

マンプク宮殿16 好きではないけど懐かしい2

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 前回はプログレ系に偏っていたが、80年代前半の中高生時は普通にヒットした作品も良く聴いていた。友人との貸し借り、FM放送からのエアチエック。従兄が聴かなくなったアルバムを譲りうけたり・・等々。

 丁度あの時代は70年代に売れていたバンドが音楽性を変えようとして四苦八苦していた時期。あちこちに地雷が埋まっていた・・・・

 

KISS/UNMASKED(邦題:仮面の正体)

仮面の正体

初めて買った洋楽のシングル盤が彼らの「I WAS MADE FOR LOVIN’ YOU」(邦題:ラヴィン・ユー・ベイビー)だった。その流れで収録されていた最新アルバムも買い、従兄から旧作もほとんど貸してもらい「地獄の狂獣」を毎日のように聴いていた頃、ニューアルバムが発売されるという情報が入る。邦題は「仮面の正体」。ついにメンバーが素顔を晒すかも?という事前情報は殆ど興味が無かったが(実際素顔で活動するようになったのはこれより更に後の話だったし)自分の好きなバンドが出す新作は気になる。発売と同時に友人が入手したので彼の家に行き新譜鑑賞会が始まった。

 期待と共に針が下ろされ1曲目が始まる。ん?随分音が綺麗な感じだ。前作よりポップだけどまあ良いかな・・・・と思ったが2曲目、シングルカットもされた「シャンディ」で激怒。「何この甘ったるい曲!ファルセットでsay goodnightとか歌ってんじゃねえ!」友人も悲しそうな顔をしている。私は「こんなもんに2500円も払わなくて良かった・・・」と安堵しつつも怒りが止まらない。その後の曲も殆ど印象に残らず再生終了。

 実際、このアルバムは発売当時の評価も悪くセールスも振るわなかったようだ。後年、KISSのアルバムをCDで揃えた時もこのアルバム以前までしか買わなかった。

その後は何だっけ?「魔界大決戦」とかいうアルバムも出したが興味も無くなり私のテイーンエイジャーKISS時代は終わりを告げた。

 今から10年ほど前、DVDで彼らがオーケストラと共演しオーストラリアでやったライブを観た。件の「シャンディ」を演奏していてビックリ、そして客が大層盛り上がっていたのにも驚いた。どうもかの国では彼らの最大のヒット曲だったらしい。「お前らはこんなもんにうつつ抜かさないでNICK CAVEとかSPK聴いてろ!」とも思ったが昔聴いたときほどは腹も立たないし懐かしかった。アルバム買う事はないけれど。

 

QUEEN/HOT SPACE

Hot Space

このバンドを耳にし始めた頃、どんなバンドなのか見当もつかず困惑した事を覚えている。最初に聴いた曲は「愛と言う名の欲望」ロカビリー?次は「地獄へ道連れ」ファンク?そして「セイブ・ミー」なんか仰々しい・・・・。その後借りて聴いてみたアルバムは「世界に捧ぐ」1曲目 ドラムがドンドンパ!ドンドンパ!と鳴っていて後は歌だけ。PILの「Flowers Of Romance」かと思った。というのは時系列的に嘘だがとにかく曲により色々なスタイルが有り過ぎでどうにも判らない。で、自分で買ったのが「QUEENⅡ」。これは気にいった。ブルース色が希薄なハードロック。B面に行くとやや展開がプログレぽいがそこが好きでB面の方だけを聴いていた頃もあった。そこから他のアルバムを聴き込み何となく概観が見えてきた所で新作が発売された。

ジャケを見た段階で嫌なオーラが漂ってくる。そもそもクィーンのアルバムはジャケットデザインがELPやDEEP PURPLE並みに酷いのが多いのだが。(その3バンドに共通するのは当時英国バンドのデザインで活躍していたヒプノシスを起用した事が一度も無いというところか)それにしても今回は酷さ10倍増しだ!カレーのLEE辛さ20倍増しは許せてもこいつは許せん!というレベル。赤・青・黄・緑に四分割された背景の上にメンバーの顔のイラスト。「後一人女のメンバーが居て背景ピンクだったら秘密戦隊ゴレンジャーだよなこれ。」と思い聴いてみるがジャケの印象を覆すには至らず。シンセストリングの多様、ギターが殆ど聴こえない。ホーンセクションが出て来る。リズムは妙にファンキーと当時自分が嫌いだった要素てんこ盛り。で、曲もつまらない・・・・

 そういうわけでQUEENもこのアルバム以降は全く聴かなくなった。たまにMTVでビデオを観る機会はあったが最早ネタとして笑い飛ばす対象だった。

 フレディ・マーキュリーが亡くなった時も特に感慨は無く、当時CD SHOPに勤務していたので「やー良く売れるなあ。まだこんなに買う人いるのね」という罰あたりな気分でレジに立っていた。

 1年ほど前、機会がありこのアルバムを再度聴く機会があった。そこには妻&妻の姉さんもいた。この義姉、デビュー当時は気合の入ったQUEENファンでQUEENのコンサートに行ったのが原因で浪人する破目になったという伝説を持つ方だがフレディが出歯ヒゲマッチョに変身してからは聴かなくなったという御仁。

 聴いた義姉の「何これ?つまんない!え!クィーンなの!うわー 酷いー」という

一言が我が家の総意だった・・・・今でも駄目だな・・・これは。

 

GENESIS/ABACAB

Abacab

このバンドの事は散々以前も書いているので手短に。フィルコリンズのソロとどこが違うのか判らん。EW&Fのホーンセクション参加と言うのも売りだったように記憶しているがそんなものは当時の自分には悪印象を倍加させるだけ。ジャケが色違いで数種あったがそんなもん意味が無い位適当なデザイン。同時期に出たライブアルバム「THREE SIDE LIVE」は愛聴盤だったし、この後出た「GENESIS」は後期ジェネシスの最高傑作だと思うがこのアルバムだけは未だに聴く気になれない。BOXセット購入した時にこのアルバムも入っていたのだが未開封のまま現在に至る。あと10年後位に覚えていたら聴いてみよう。それまで生きていればだが。

Episode 1804 : I would talk about it when I went to heaven 3-2

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冥途の土産話 3-2

【前回までのあらすじ】卒業旅行で訪れたイギリス。各地転々とする道中、2年間文通していた憧れのバンドメンバーとリアルで対面!が、まさにリアルな本人は「憧れ」という言葉が瓦解し、音楽や映像では伝わってこなかった一面が見えまくるモーメントが頻発!人生、ノンストップ!!

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旅行中の私は、2週間ウースター市内のB&Bに宿を構え、ウースターを拠点に近郊のグロスターやチェルトナム・スパ、オックスフォード、カーディフなど、ウースターから列車で1本で行ける英国中西部からウェールズの街を訪ね歩いていたが、その合間に文通相手とも数回会い、ウースター周辺の観光は主に彼が案内してくれた。市内から車で30分ほど行ったところにあるゴシックな教会には土地にゆかりの方が数多く埋葬されており、中世の戦争で亡くなった領主と思しき有名な人物が、寝台に横たわったブロンズ像があり、脇腹に剣で刺された後まで再現されていたのを「ほら、ここ見て」と熱心に説明してくれた。英国を誇る作曲家、エドワード・エルガーの出身地でもあるウスターシャー州は、マルバーン・ヒル(通称マルバーン山)というおらが自慢の丘陵地帯があり、パブ屋で衝撃の対面をした数日後、まずはマルバーン山に連れて行ってくれることになった。マルバーン山のある英国有数の温泉地帯であるグレート・マルバーンには、当時彼のバンドが所属していたインディ・レーベル、リフレックス・レコード(廃業)のオフィスもあり、割とよく来るのだという。

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山と言っても大した標高ではなく、平服で充分なウォーキングルートを1時間ちょっと歩くと、すぐに山頂を現す方位計みたいの(写真)が出てきたが、360度視界を遮るものがなく、天気の変わりやすい英国にしては珍しく快晴のなか、前方にウスターシャー州、後方に隣県ヘレフォードシャー州をパノラマで見渡せたのは圧巻だった。マルバーン山頂詣では地元の小学生にとって遠足の定番らしく、当時28歳だった彼も「いやー、山頂まで来たの16年ぶりだよ。久しぶりだなあ」と絶景との再会を堪能していた。当然そこは絶好の撮影スポットでもあり「写真を撮ってあげる、カメラ貸して」と何枚か写真を撮ってもらったが、撮る時「ちょっとこっち向け」とか「もうちょっとそっち向け」と割と細かく注文をつけてきたので、あとで現像してみたら山7:私3と人物配置が微妙だが、一応プロのフォトグラファーが撮ったかな的なショットが数枚あった。

「今日はうちに招待するよ」という日もあった。日本の地方都市と同じく、車は一家に一台ではなく大人ひとり一台ないと生活が立ちいかない交通インフラから隔絶された地域に住んでいるため、自分専用の車(フォードのリッターカー)で迎えに来てもらうのだが、外観は洗車無用、助手席はドアの把手が取れていて、乗せてもらうのも一苦労だった。日本ではそういう状態で走行している車を見た事がなかったが、英国では当時旧ソ連製の乗用車、ラーダがガソリンをしたたらせながら走っていたり、フレームが歪んで窓が開かない車も見かけたので、卒業旅行も終盤に差し掛かっていた頃だった私はさほど驚かなかった。むしろ、その車で彼の家へ向かう道中、度々身体がふわっとする瞬間の方が気になった。対向車のない両脇草ぼうぼうの、もしや道ではないかもしれない田舎道を爆走するリッターカー、車体が小さいから体が浮くのかな?池袋の商店街で誰も車を運転しない家庭に育った私はそう思ったが、ふとメーターを見ると針が「70」を過ぎている。こんな農道、時速70キロで走る事もないと思うけど…と思った瞬間血の気が引いた。当時の英国の度量衡はヤードポンド法からメートル法に切り替わって間もなく、大概の既存品は古い度量衡のままだった。彼は70マイル、つまり時速110キロ以上で農道を爆走していたのである。そんなわけで実家にはすぐついた。

築400年と聞いたその家は昔の百姓屋敷で、庭には馬に曳かせてリンゴをつぶし、英国中西部特産のサイダーを作る大きな石臼や、薪割り用の切り株もあった。薪割りはもっぱら彼の仕事だという。家は天井の高い部分がなく、1階、中2階、2階…と迷路のように入り組んでいて、幾つ部屋があるのか判らない間取りで、書斎と思われる奥の部屋に通された。彼は4人きょうだいの次男で、末っ子の三男である弟とバンドを組んでいるわけだが、現在はイタリアでアトリエを構えている陶芸家の長男、その次がお姉さんでカリフォルニアで競走馬の牧場に嫁いだという。書斎は粘土細工がごろごろ転がっていたから、お兄さんが独立した際空いた部屋なのだろう。いかにもDIYな書棚にはアナログ盤とペーパーバックがびっしりつまり、部屋の隅には「ナチス大作戦」的なボードゲームが山積みだった。英国人らしくミルクティが振舞われたが、2か月弱の英国滞在で後にも先にも人のお宅でアールグレィティが出てきたのはここだけだった。お茶をいただきながら、本人が好きな本や音楽の話-ワイルドの「ドリアングレイの肖像」が大好きというので、私は言葉遣いが大仰で、最初の数ページ読んだだけで後の展開が透けて見えて、あまり面白くなかったと言ったら「それは翻訳のせいだよ。すごく面白いんだから。原書で読まなくちゃ」と諭されたり、日本を立つ直前に転倒事故で亡くなったニコが可哀想だとか、ティム・バックリィが好きだが実はディスモータルコイルで初めて知ったとか、サントラはマカロニウエスタンものが大好きで、かなり影響を受けているなど、また今時の言葉でいえばカメラ女子だった私があれこれ写真やカメラについて尋ねたり、カメラを見せてもらうなど、結構色々話したが、話しながらレコードをかけてくれるのが、シャープのカセットデッキ付きレコードプレイヤーで、針を布巾でバリバリ拭いていたので、ミュージシャンでも家の音響機器はこんなもんか、しかも扱いのぞんざいさに驚いた。途中同じバンドの弟もやってきた、というより階段を駆け上がって走り込んできた。弟はバンド写真では想像できない位快活で、私を見るなり「ハーイ、僕ジャスティン!24歳なんだ!よろしくねっ!!じゃーねーっ!!」とガンガン握手した後、階段を駆け下りて行った。だが何より一番驚いたのが、その後彼が書棚から出してきた、一枚の写真だった。草っぱらにささった木端の垣根の前に、小学生高学年の男の子が二人と、低学年の男の子が一人、計三人映っていた。写真を見せながら彼は右の子供を指さした。

「小学校の時、ジョン・テイラーと同級生だったんだ。苗字がテイラーだから、ティガーって呼んでいたんだ」

…え?ジョン・テイラー?デュランデュランの??

「そう」

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 確かによく見ると、面影がなくもない。10歳ちょっとだろうけど、微笑を浮かべてすっとした立ち姿をしたその男の子は、将来のスター街道を約束されたような既に華のある表情をしていた。その横で、真ん中でもんやりと立っているのが本人で、横で垣根に座って激しくVサインをしているのが弟だった。

有名人と同級生だったネタは古今東西鉄板だとは思うが、片やワールドワイドなスター、片やキュアーの前座でハマースミス・オデオンに出たのがヤマ場のインディバンド、同じミュージシャンとしてその嬉しそうな自慢っぷりはどうなの?!と、今にして思えば、同じミュージシャンでも全く次元の違う所にいて、比較すること自体頭を掠めもしなかったのかもしれないが、いいのかそれで感で胸が詰まった。

帰り際、書棚から1冊の本を取り出し、ちょっと何か書いた後「これお土産。同じの2冊持ってるからあげるよ」と、英国の学校推薦図書では筆頭作品である「ロージーとリンゴ酒(原題:Cider with Rosie)」のペーパーバックをくれた。

夕方、車で市内のB&Bまで送ってくれる際、ご両親が揃って玄関まで見送ってくれた。当時すでに77歳とご高齢のお父さんと、お父さんとは16歳年下の優しそうなお母さん。自慢の記念写真に写っていたジョン・テイラーはバーミンガム出身なので、写真当時-つまり、小学生まではバーミンガムに住んでいた事がわかった。この住所も番地もないような百姓屋敷は、ご年齢から察するにお父さんが定年退職したか何かで購入し、一家で引っ越してきたのだろう。この日、私は一バンドのファンとして「知りすぎるのも良くない」と初めて思った忘れられない一日になった。

 

次回、それから時は流れた2015年、まさかの出来事が!お楽しみに!!