LPT annex

whatever LPT consists of

Episode 1709 : The Disappointed 2 / Ms. Ashura

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練馬残念猫2 アシュラさん 
 
主人と入籍して最初に住んだ集合住宅のそばには、小学校が隣接する公園があった。当時は沢山の動物が住みつき、それに対し誰もが何の疑問も抱かず温かく接していた。しばらく公園で暮らす間に頼れる人間と出会い、飼い猫に昇格する強運の猫もいたし、地域猫活動も盛んで、毎朝バケツでお湯を運び、皮膚病に苦しむ猫の足を洗ってあげているお婆さんや、毎晩定時に段ボール箱が運び込まれ、そこで寝泊まりする猫もいた。ある時から無情なまでに整備され、多くの樹木が切り倒され、動物進入禁止、砂場使用禁止、球技禁止…と公園の楽しさを根こそぎ削除した現在のその公園からは想像もできない「楽園」のような場所だった。そこにアシュラさんも住んでいた。彼女は洋猫の血が色濃く姿に現れた、眼光の鋭い長毛の三毛猫で、顔の半分が黒く、引越当時は同じ腹の姉妹と思しきそっくりな白黒の猫もいたが、「銀猫」と呼んでいたアシュラさんのきょうだいは、足しげく公園の向かいのアパートに通った結果、飼い猫に昇格し、その後外には現れなくなった。一方アシュラさんは、地域猫活動家の手厚い庇護を受け、朝晩の食事と公園のベンチに設えた段ボールの寝床を保証され、自由な生活を満喫していた。気に入った人間が通りかかると、媚を売るでもなく、かといって逃げるでもなく、ふんわりと長い尻尾を立てて近づいていくが、夜9時を過ぎると判を押したように段ボールハウスに入ってしまい、幾ら声をかけても「本日の営業は終了しました」状態で、てこでも出てこなかった。
 
アシュラさんは、公園を中心とした猫社会の女ボスだったらしく、なんと自分の母猫まで縄張りから追い出し、コミュニティ内の猫には一目置かれていた。地域猫活動のおばさんに何度かアシュラさんの話を伺う機会があったが「え、みーちゃん?この辺の猫はみんなみーちゃんにビビってるわよ。でも男の趣味は悪いんだけどね」と、この迫力で巷ではあっさり「みーちゃん」呼ばわりされているのに驚いたが、おばさんが言う所の「趣味の悪い男(後述)」とあしゅらさんが、確かに人様の屋根の上で玉になって寝ているのを見たことはあるので関係は否定しないが、近所の人に男の趣味まで周知されている程のプライバシー侵害を受けている猫に初めて会った。
 
アシュラさんは、公園に来る人間には凛としていながらも、常に相手の様子を伺い、励ます事すらあった。ある日、仕事で精根尽き果て、あと数分で家という、そのもう少しが踏み出せず、公園のベンチで一休みしていたところ、暗闇の中からふわっとアシュラさんが現れた。地面から人の顔を覗き込むように私を見るなり、とんとん、とベンチにあがり、私の膝に乗ってきたのだ。私はびっくりしたが、アシュラさんの思いやりに感謝して、そのまましばらく膝の上のアシュラさんと無言の語らいを楽しんだが、じわじわと太腿がかゆくなってきたので、せっかくのご厚意だったが「どうもありがとう、帰ります」と挨拶してベンチを立った。アシュラさんも、別に驚く事もなくベンチを降り、段ボールハウスへと入っていった。
 
ある年、公園に子猫が大量発生した時期があった。地域猫活動のおばさん達のお世話になりながらすくすく育った姿はほぼ大人だが、中身はてんで育っていない年頃の若猫の中には、野良生活でだんだんすれっからしになっていく者もおり、手を伸ばした際、急に引っかかれそうになった。その瞬間アシュラさんが「ギャギャッ!」と金切声をあげ、その猫を横から2発引っぱたいたのだ。女ボスに2発も食らった若猫は「ちっ、なんだよババア」とでも言いたげな顔ですごすごと去って行った。そうやって人への仁義を教える猫というのも、後にも先にも彼女以外会った事がない。
 
地域猫活動の中心だったお婆さんが、脳梗塞で倒れ、車椅子生活となったという話を聞いた頃、公園は世論の時流に乗って動物進入禁止、遊具の撤廃、大規模な樹木の伐採を急ピッチで進めていた。1年位経ち、公園はいきものの息遣いを感じない、ただの管理区域に変わり果てた。地域猫活動も息の根を止められ、アシュラさんや他の猫が休む段ボール箱も置かれる事がなくなり、そのうちにアシュラさんを初めとする猫は姿を消した。
 
最後にアシュラさんと会ったのは、10年前現在の家に引っ越した際、主人が「久しぶりに公園でも行ってみるか」と足を運んだ時だった。運よく、数年ぶりに見かけたアシュラさんは、元々単色の体毛が更に薄三毛になり、毛艶も悪く、人間でいったら少し認知症のような目つきに変わり、私たちの事は毛頭記憶にない、といった表情で土の上に横たわり、こちらをぼんやり眺めていた。実際相当の高齢だったと思うが、日々の飲食に事欠いているような荒んだ風ではなかったのがせめてもの救いだった。その公園に足を運ぶ事は殆どないが、そばを通ると今でもアシュラさんの凛々しい姿を懐かしく思い出す。

 

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軽トラックの上で正座するアシュラさん 2005年ごろ

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2006年ごろ 玉アシュラ

ハンブルサーバントの独り言 Humble Mumble 9 ターザン:ROBORN

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台湾の親戚で’15年末に亡くなった最年長の従姉の次男、建ちゃん(54)は奥さん共々日本の大学を出ていて、長女も今年日本の通訳養成コースに留学している。従姉の子供の方が私たちの年齢に近いので、若い頃から色々な形で縁があった。どうにもこうにも留学中からとにかく富豪なので、遊びにきた両親を一緒に羽田に見送りにいき、帰りは当たり前のように空港からタクシーで帰ったりした。現在も親族経営の会社が大繁盛で世界中を飛び回っている。数十名を引き連れた社員旅行の写真を見せてもらった時、「ああ~、ハウステンボスに行ったんだ~?」「ううん。ウィーンだよ!品のいいおばあさんて感じの街だったな!」

長男の通称「マコトくん」は今年大学を卒業するが、毎年なんらかの形で会う機会があった。どらえもんのノビ太みたいに小さくて、黒ぶちメガネで言葉は通じないが愛想のいい子だった。それが毎年会うたびにニョキニョキヒョロヒョロ背が伸びていき、今では187cmもあるという。’16年末、妹と台南で建ちゃん家族と会食した時、本人はいなかったが奥さんが動画を見せてくれた。そ、そこにはムキムキ、マッチョなマコトくんの姿が!ある時筋トレに目覚め、今は蟹腹だ!最後に会った時から半年しかたってないのに、人間てこんなに変われるのか!プロテイン命か!卒業後の兵役も楽しみにしているという。Good Bless Makoto!

 

「ターザン」の名を知らない人はいないだろう。原作でもターザンが貴族出身だったというのは初めて知ったが、この映画は凄い。19世紀、ジェーンと結婚してジャングルから英国貴族に戻ってロンドンで大富豪として国会議員も務めているというシチュエーションから始まる。(可能なのか、8年ぽっちでそれって...)

俳優さんがまた凄い。この映画の為に肉体改造したのが手にとるように分かる。アレクサンダー・スカルスガルドというスウェーデンの俳優さんで三つ揃いでビシっと決め美しい金髪、碧眼。品のいい英語。でも、彼が出てきただけで映画の顛末が全部わかるようで、もう脱いだら凄いんです、この後脱ぎます、脱ぐんです、戦うんです感がムンムンなのだ。最初、俳優さんの情報が全くなかったので、この人本職はレスラーかしら、これがデビュー作かしらと不安になったが、彫刻のような雄姿はCGではなく、筋トレのたまものだという。すべて撮り終わって、やっと好きなものが食べれる!と太り始めていた時、ワン・シーンだけ撮り直しの命令が出て、再度過酷な筋トレで絞ったという。「その場面だけCGでできね~のかよ~!」と叫びながら。俳優さん偉い。ハリポタの監督さんなので全体的にアクションでも品がいいです。悪役にもそれなりの魅力があり2回見直しました。LPT読者にご存知の人がいるかどうか不明ですが(タヌでさえ)、中村光先生の「荒川アンダー・ザ・ブリッジ」に出てくるヨーロッパの屈折した元傭兵、いつも戦闘服の上に修道女の衣装を着ている「シスター」の実写版みたいで凄いお得感がありました!

PS:アレクサンダーさんはレディ・ガガの「パパラッチ」のPVにも出ていました。同じ人とは思えないほど、ゲスな恋人役で。筋トレ前でした。 

ターザン:REBORN [DVD]

マンプク宮殿8 ホヤとヴァン・ダー・グラーフ・ジェネレーター(前編)

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 その昔、仕事から帰ってきた父が晩酌でサッポロを飲んでいる時、傍らの皿に入っているオレンジ色の憎い奴、臓腑を掘り出したように見えるそれが「ホヤ」なる海産物だと認識したのは小学校を卒業するかしないかの頃だった。父のみならずお盆などで親族が集まり叔父連中が酒盛りを始めると皆の前にもれなくそれが入った皿が並んでいる。
 
産直丸魚 南部もぐりの手摘み 種市産 活 天然 ほや 1kg (3-5玉)
ホヤ
 生臭い中にケミカルな成分を含んでるかのようなその香り、オレンジ色と黒にグロテスクに染め上げられた身。そして捌き済で流しのコーナーポストに捨てられている殻・・・赤黒い色でイボイボが出ている。ウルトラセブンのブラコ星人かはたまや日野日出志の「蔵六の奇病」かという気持ち悪さ。子供の食卓に並ぶことは無いがたまに親父が面白半分に「どうだ?食べてみるか?」とサッポロと一緒に勧めて来る事があった。
ウルトラ怪獣消しゴム No.108 ブラコ星人(銀)|ウルトラセブン 円谷プロ一度だけ両方貰った事があったがどちらも苦い!変な味!食感がグニャグニャして気持ち悪い。いつまでも口の中に後味が残り続ける・・・キリンレモン飲んでも消えない。こんなものを喜んで食べる大人というものは理解できない、という真っ当な子供らしい感想のまま高校を卒業し上京。20歳の声を聞くまで二度と口にすることは無かった。東京ではその頃は殆ど見ることの無い、少なくとも金欠大学生が行くような店に置いてあるようなものでも無かったし。 

蔵六の奇病 (1979年) (ヒットコミックス)大学三年あたりにはビール等も少しは吞むようになり、夏の風呂上り一杯の旨さにも開眼。たまには友人などと安居酒屋に行ってオダを上げるようになってきた夏。帰省して高校時代の友人と入った地元食材が肴の居酒屋で奴と再会した。ほろ酔い加減で勢いに任せ頼んだそれは過去の諍いなど水に流すかのように美味。酒と煙草で恐怖の味覚改革されたのか?翌日、宿酔の苦しみから解放された夕方に近所のスーパーで買い求め、母親に捌き方を教わり自分で酢の物にして食べている自分がそこにいた。ホヤとの再会&今に至るまでの永い付き合いの始まりだった「ユリイカ!」とでも叫んでいたら良かったのかどうか。

  とはいえ、少し前まで都内のスーパーでは極まれに初夏出回る事があるくらい。そしてあまり美味しくない。居酒屋などで出ることもあるが匂いだけが強くて味は・・・という事が多かった。なによりホヤを食べる習慣がある地域が日本の中でも限られているというのも働き始めてから知った。東北地方の人間には馴染み深いがそれ以外の地域の方々から言われるのは
 
「あー!ホヤ。東北出張の時地元の人に勧められたけどねえ・・・何なのあれ?」
「あんな臭くて気持ち悪いもん良く食べられるな。さすが蝦夷は味覚が違う」
「怪奇!ホヤ人間!」
 
など殆どまっとうな人扱いされない。
 
 最近はスーパーでも大分鮮度が良い物が出回り、居酒屋でも臭みが強い質の悪いものは見なくなってきているが、それでもあの見た目と食感故、関東圏でも市民権を得るのは無理だろうなとは思う。ましてや中部、関西など・・・
 

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 続く!

ハンブルサーバントの独り言 Humble Mumble 8 アキヤマの弁当

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映画じゃないけど。

 

今は何でも食べれる時代だ。しかし、どうでもいいものが無性に食べたくなる。高校時代の母の弁当だ。キャラ弁でもなんでもない。質実剛健な弁当。匂いも色も移ってしまいそうな深めのタッパーにギュウギュウに詰め込まれた赤いスパゲッティ。表面には色よく茹でたサヤインゲンが散らされ、やや半熟の二つ切りのゆで卵が埋められていた。サイケだった。当時はレンジなんかない。硬くなった麵をほぐしながら口の周りを赤く染め一気に食べた。十代の私には凄いご馳走だった。

「生焼けだと怖いから」と真っ黒に焼かれた硬いハンバーグ。ソースとケチャップを混ぜたものが必ず塗られていた。砂糖とバターで茹でた橙色のニンジンの付け合せ。大嫌いだった。それに手元が狂って塩が利きすぎた厚焼き卵。個別に持たせればいいのに、これまた半分に切ったみかんが埋められていた。見た目がファンキーだからか、いつしか隣の席の女子が「おかず、交換して~」というようになり、あちらの卵焼きをもらった。まずかった。「アキヤマの弁当」はなぜかよそのクラスにも噂が広がり、前出のスパゲッティなどは、ひとくち食わせろという子もいた。懐かしいなあ。

 サンドイッチに到っては、母は食パンの耳あり派だった。薄く焼いた卵焼き。(なぜか和風味。やっぱり塩味きつめ)スライスしたトマトときゅうりにマヨネーズを塗り、むっちりとした二つ切りのサンドイッチの完成。切り目の色はやっぱり鮮やかだが、食べる頃にはパンまでジクジクになっていて、真夏など命の危機さえ感じた。「マーガリンも塗ってあるから大丈夫」母の真心は底なし沼のようだった。

 体の弱い母に代って、年の離れた妹の弁当を作るようになった。おかずは前日の残り物が常だが、白いご飯に紅しょうがで「デブ」とか「60キロ」とか書いてごま塩をいっぱいふった。ちなみに当時、私のハンバーグは母のそれを超え、あめ色玉ネギ入りのフワフワで自他共に評判の一品だった。やっぱり空いた所は半分に切ったみかんで埋めた。蓋を開けた途端、テンションがあがる(はず)。「また作って!」と言われればしめたものだ。

 この妹も長じて、今では行きがかり上行かず後家となった姉のために、旦那と自分の弁当の他に私の分も使い捨て容器に入れ、「明日、食べな」と、徒歩3分の我が家にでき立てのビーフンなどを夜届けてくれる(独居老人ではない)。醤油と長ネギ、椎茸、竹の子、豚肉のダシがよく染み込んだ焼きビーフン。これぞ母の得意料理だった。明日と言わず自宅で思わず早弁してしまう。おいしい。そんな時、あのどうでもいい「アキヤマの弁当」が走馬灯のように脳裏を駆け巡っていく。ママ、ありがとう。私たち、どうにかやってるよ。ごちそうさまでした。

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2010年秋、在りし日のタヌ家ガスコンロ。コンロはハン1が両親を看取り、実家を

整理した際に店主タヌが譲り受けたもの。鍋もヤカンも、勿論コンロも現役です

 

 

 

ハンブルサーバントの独り言 Humble Mumble Summer Special : Who Do You Think You Are(BBC) あるいはSuffragette(未来を花束にして)

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2004年から好評を博しているUKの先祖探しTV番組、Who Do You Think You Are.
そういえばイギリスの何人かの友達との会話にも何回か登場していた。先日4半世紀ぶりに会いにいったEssexPeter親子は「探しても探しても、どこまでも貧乏だった。「Happy but Poor!」と笑っていたけど。はからずしも、我が家もひょんなことから最近、父方の曾祖父がオランダ人だったということが判明した。台湾がオランダの統治下だった時代があるし、大航海時代の事、どこで何があってもおかしくないけど、「自分が何でできているのか」と考えた時、妄想は果てしなく広がる。しかし、冷静に歴史などを調べていくと残酷な事実にぶち当たったりもする。今のように格安航空券もない時代、わざわざ台湾までやってきた曾祖父はそこそこのミッションを持っていたのだろう。そこに十代の曾祖母(中華)が下女として入り、おてつきで生まれたのが祖母。ダッチはさっさと次なる目的地に旅立ち、着地点はイギリス。そこで家庭を築いて落ち着いた...のなら、我が家の英国との深い縁にも納得がいく。祖母はその後、祖母にとっての祖父母により、おそらく、混血でもいいところに嫁に出すため「纏足」までして17歳位で結婚している。祖母と話ができるなら、色々女同士聞いてみたいものだ。洋名Kimburley。私たちに現れた日本人らしからぬ骨格と白い肌は確かにダッチゆずりだとも思う。だから何なのって、それ以上でもそれ以下でもないけど、DNAとは不思議である。ちなみに祖母は富豪の妻として沢山子供を産み育て、天寿を全うしています(笑)
満を持して爆進中のLPT Grossmith特集。万博出展!ワラント獲得!香水のレシピ発見!子孫が復興!などと、非常にドラマチックだ。しかし、先祖探しの中でもこれはかなり異例のケースだろう。毎日ドキドキして読み進む中に前出のWho Do you~が添付されており、勢い50分以上にわたるアニー・レノックスの回を真剣に最後まで見てしまった。貧困、どこまでいっても貧困。よくて工場で働き、ついつい何度も私生児を産んでしまい、育てられないから大叔母に「下働き」として預けるが「Useless」として戻されてしまう。当時行き場のない貧しい子供は「商品」扱いだった...「ビクトリア朝って、なんて残酷なの!貧困て醜いわ」涙ぐむアニー。自分の先祖のひとりでも、そんな思いをして夭逝していたとしたら...
時を同じくして、偶然今春公開されていたUK映画、Suffragette(未来を花束にして)を連載開始直前に見た。1912年貧しいロンドンが舞台だ。女性参政権を得るために奮闘した女性達の実話に基づく映画だが、不思議な事にGrossmith特集の時代背景となんだかかぶるのだ。女王様の国なのに、英国では当時女性には参政権がなかったという。「女性は感情的で、政治的問題には冷静な判断ができないから」というのが理由だそうだ。洗濯工場で7歳でパート、12歳でフルタイムとして働く。低賃金に過酷な労働。セクハラ。皆、短命。それでもささやかな家庭を築くが、男女平等、参政権獲得を声高にアジる特権階級のマダムに感化され、次第に活動に参加していく。言ってもわかってもらえないから、彼女たちの行動は器物破損、ポストに爆弾、金持ちの別荘爆破...と過激きわまりない。投獄されればハンストもする。活動家の一人、薬剤師として登場しているヘレナ・ボナム・カーター(まいど!)でさえ警官につかまればこん棒でボコボコに殴られる。「違う人生が送れるかもしれない...」と活動にのめり込んでいく主人公。でも待っていたのは家庭崩壊。仲間の死。何度も投獄される妻に嫌気がさした夫は、幼い一人息子を勝手に養子に出し離婚。養子に出された坊やにはまた違う人生が待っていて、違うファミリーツリーができて...
この映画を見た後、特集記事を読むと、時代背景が何か3Dで浮かび上がるようで。一生ド貧乏の彼女たちは、香水の「こ」の字とも縁がなく、安全な場所から彼女たちを煽る特権階級の思想家婦人は、綺麗なお洋服、すばらしい香水に日々囲まれ、違うファミリーツリーを築いていくのだろう。
お時間のある方はSuffragetteも是非見てみて下さい以上、ハン1からの絶叫レポートでした!コケーッ!!

未来を花束にして [DVD]

4 Aug 2017

マンプク宮殿7 ビッグマックとCLOSER

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どこの地方都市でも大体そうだとは思うが、私の育った街も1980年代初頭位までは全国チェーン展開している外食産業、小売業系の店舗は殆ど進出して来ていなかった。地元資本のチェーン店、個人経営店舗で商店街は形成され、どこも18時、遅くても19時には閉店し表通りは閑古鳥、裏に並走する飲み屋街(これも殆どは個人経営の酒場中心)に人の流れは移り、酔客が闊歩するのみという光景が普通だった。夜遅くに街を徘徊するような生活は送っていなかったが(高校2年まで21時には寝ていたような人間なので・・・)街のハレとケは明確に分断され、ここから先は子供の行くような場所や時間では無いという事が明確に認識できる雰囲気を感じていた。
 それが変わり始めたのが東北新幹線開通した頃、駅ビルに最初に入ったハンバーガーチェーンがロッテリア、ほどなく駅よりかなり離れているが昔から賑わっていた商店街にマクドナルドが進出して来た。
 名前だけは知っている有名店、今まで食べる事の殆ど無かった「ハンバーガー」なるものを食べてみようと友人と連れ立って入ってみたが、確かあの頃は単なるハンバーガーで¥180、チーズバーガーで¥200、金欠中学生はとりあえず無印ハンバーガー。ポテト?ドリンク?そんなもん要らん!と食べてみると旨い不味い以前に小さすぎ!とても腹が満たされない。だからと言ってセット頼むと¥500近くて贅沢過ぎ。こんな小さいものをアメリカ人のデカい奴らは食べて満足するのか?それとも1人2個3個一挙に食べるのか?という疑問を持ちながらメニューを再見すると「ビッグマック」というものが目に入った。1個¥350・・・天文学的な高値と思いつつこれ食べれば満腹にはなるのだろうなと思い満たされないまま家路についた。2度と入る事ないなと思いつつ。


マクドナルドと言えばドナルド。ドナルドと言えば、ちょっと前はこれでした


 同じ頃、私は音楽雑誌でちょこちょこ名前が出て来るバンドに強い関心を抱いていた。「joy division」アルバムは「closer」これらの単語に付随してくる文章と言えば「ボーカリストが首つり自殺して解散」「イギリスの陰鬱な若者たちに絶大なる人気」「バンド名の由来はナチスの将校用慰安所の名称」。日本でも人気上がってきていた新人バンドECHO&THE BUNNYMENとかU2の記事でも名前が良く出てくる。たまに雑誌で見る写真ではどこにでも居そうな地味な連中が俯き加減で廃墟みたいな室内、雪で真白な橋の上等で所在なく佇んでるコントラストが強いモノクロ写真。「どう考えても自分好みの音に違いない」という強い確信を持つに至るが日本盤未発売の為地元のレコード店では売っていないといういつものパターンに頭を掻き毟り、異常乾燥注意報の為パサパサになった頭皮からフケを撒き散らしていた。
 懇意にしていた中古盤屋数店に入荷したら連絡を貰えるよう頼んで数カ月、その中の1店から入荷の連絡が入った。場所はあのマクドナルドの近所。授業が終わってから部活をサボり自転車を飛ばして店へ向かった。確かにそのアルバムはそこにあった。イギリスのバンドなのに何故かスペイン盤、オリジナル盤を知っている今だからこそ判るが紙質は薄くてザラザラ、印刷も荒い、音質もあまり良くなかった。そのせいかも知れないが自分が予想していたよりかなり安価。比較対処するものを知らない私は自分が永い事捜していたものを安く買えた事で有頂天になり店を出た。ペダルを漕ぐ脚も軽く。そして何を思ったのかマクドナルドへ向かう。

McDonald's FOOD STRAP/マクドナルド フードストラップ 第1弾 【1.ビッグマック】(食玩) 記号:まる
ビッグマック型ストラップ。実際はこんなにボリュームないと思います


 自分が用意していたお金と購入した金額の差額は¥500。気が大きくなっていたのだろうか?そのお金でビックマックとコーラ(S)を頼んでしまった。店には全くそぐわしくないキリストの死を嘆き悲しむ彫像写真をジャケに使ったアルバムを机に出して眺めながらビッグマックを食べた。美味しかったか?否、ただ量が多いだけで胸やけがした。

 ムカムカする胃を抱えながら自宅に帰り早速レコードを再生する。1曲目、タムを廻してるのみのドラム、音程がどっかいっちゃった唄。電動ノコギリみたいな音しか出してないギター。妙にメロディアスだがリズムキープという概念が全く無いようなベース・・・曲名はatrocity exhibition。JGバラードの小説のタイトルが元ネタ、邦題「残虐行為展覧会」だったか?

 聴き始めは「こりゃ失敗したかな?」と思ったがA面最後あたりでどんどん引きこまれていきB面全て聴き終える頃には圧倒されていた。その日は夕飯まで何回もリピート、食事後も寝るまでこれだけを聴き、それから数カ月は毎日必ず聴いていた為、高校を卒業する頃には溝が磨滅してしまい雑音塗れになってしまっていた。あれだけ負のオーラを漂わす演奏(そして下手)徹底的に厭世的な歌詞、リバーブとディレイで凍てつくような世界を具現化したプロデュース。恐らく本人たちだって意図しないで出来てしまったような作品ではないかと今では思うが10代の自分には「これだけネガティブでも突き抜ければこんな凄い作品になるんだ」という人生負け犬街道まっしぐらへ迷い込ませた罪深いアルバムがこいつなのは間違いない。

 彼らが作品を発表してたレーベル、FACTORYはマンテェスターに基盤を置いた独立系のレーベル。70年代末から80年代は独立系レーベルが活況で商業的にも成立していた。ROUGH TRADE, MUTE , 4AD,RED RHINO,MIDNIGHT MUSIC,FIRE等等。ディストリビュートの崩壊に伴い倒産やメジャー系に買収され始めたのが90年代頭。奇しくも私の故郷に全国チェーンの外食産業、大型チェーンストア、コンビニ等が大量出店始めた時期と重なる。今では街のメイン通りはチェーン店ばかりが目立つようになってしまった。

 ビッグマックには魅せられなかったが「closer」は今でも我が家のリファレンスディスクの座を守り通している。そういう我が家は帰省しても最近は時代に抗うように残っている地域に足が向くようになってきている。時代に見捨てられたのやらこちらから見切ったのやら・・・・

クローサー【コレクターズ・エディション】

不休の名盤 クローサー/ジョイ・ディヴィジョン 実家にあったLPは、中2の頃池袋
オンステージヤマノで買ったアメリカ盤でした。

Episode 1707 : The Disappointed 1 / Ms. Kodera

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練馬残念猫1 小寺さん
 
今から19年前の2月、婚約したばかりの主人と私は、新居の候補地を足で歩いて見ることにした。当時主人は世田谷に一人暮らし、私は池袋に家族と住んでおり、既に母が要介護状態だったので、独立しても通勤の行き帰りに実家へ寄る事が今後増えるだろうと思い、世田谷での独身生活が長く街を気に入っていた主人を説得し、池袋をキーステーションに、実家のある東上線とは路線を変えた西武池袋線沿線に住むことにした。最初は、商店街の活気があり住みやすそうな学生街、江古田に絞って物件を探したが、大学が3つもある学生街のため、ファミリー物件の玉数が少なく、不動産屋に隣駅の桜台を紹介された。
 
紹介された物件は、築年数は古いが、もともと大手銀行の家族向け社宅を1棟買いあげた集合住宅で、室内は手狭だが屋外収納が豊富で、駅から5分と通勤至便、千川通り・目白通り・環七に囲まれていながら割合閑静な場所だったので、第一候補において周辺を見て回ることにした。集合住宅の隣は古い一軒家で、猫好きの我々を歓迎するかのように、愛想の良い、しかし場末のバーのママみたいな声をした三毛猫が、庭から「に゛ゃ~」と出てきて主人の足元にすり寄りゴロンゴロン、表札に「小寺」と書いてあったので「この猫、ここの飼い猫かな」「懐っこいからそうだろう。小寺さん、よろしくね」とひとしきり遊んで帰った。
 
それから数か月後に入籍し、第一候補の集合住宅と契約して住み始めた。2月に会った「小寺さん」は、毎日のように小寺家の庭から飛び出してきては路面に転がって歓迎してくれた。小寺さんは人間が大好きなのか、人が通りがかると誰それ構わず飛び出しては路肩でゴロンゴロンし、嬉しそうに撫でて貰っているのを良く見かけた。しかし、住み始めて数か月した夏のある日、ゴロンゴロンしている小寺さんを足元にたからせている近所の方に「この猫、随分懐っこいですよね。そこの小寺さんの飼い猫ですか?」と聞いたら
 
「違うわよ」
 
確かにこの猫は、昔どこかの飼い猫だったが、飼い主が引っ越しの際置いて行かれて野良猫になってしまった。でも元来とても人が好きみたいで、こうやって愛想よく元気にやっていて、小寺家の庭も縄張りにしている。そう近所の人は教えてくれた。小寺さんは、小寺さんではなく、近所の人は皆勝手な名前で呼んでいた。そのおばさんも「みーちゃん」とでも呼んでいた。そして足元で会話を聞いていた小寺さんは、その頃から我々に対し猛進撃を始めたのである。
 
ある時から、小寺さんは夕方、集合玄関の物陰で我々を待ち伏せするようになった。私や主人の気配を感じると、どこからともなく現れ、すごい勢いで並走し、集合玄関を開けた瞬間先に入るようになった。ペット禁止の賃貸住宅なので、当然室内では飼えないが、とにかく猛烈なアタックを毎晩仕掛けられるので、何とか小寺さんに気付かれないよう入室すべく、先に帰宅した方が「今近くにいる」「遠回りして家に入れ」と携帯で連絡を取り合い、激しい攻防を繰り返したが、どうしても野生の勘には勝てず、何度か玄関を突破された。そういう時は仕方なく主人がおもてなしにひかりクレストキャット(注:当時飼っていたナマズ系熱帯魚の餌)をあげたらたいそう気に入られ、なかなか帰らない日に一度だけ泊めた事があった。泊まった日の小寺さんは、バスマットの上でひとしきり寛ぐとそわそわしだして「やう、やう、やーう」と何故か3発鳴いて「出せ、出せ」というので夜中に出してやると、明け方の5時ごろ、ちょうど私の枕元に当たる裏窓の下めがけて同じ「やう、やう、やーう」と3発鳴いて「入れろ、入れろ」とせがむのだ。多分小用で外に出ただけで、出ていくつもりはなかったのかもしれないが、それ以降は何とか集合玄関の要塞を死守し、何度も待ち伏せはされたが家に入れる事はなかった。
 
そのうち、小寺家が空き家になり、古い一軒家は取り壊され広大な空き地になり、暫くして新築家屋の工事が始まった。すると、まるで結界でもされたかのように、小寺さんは空き地を越えて二度とこちらに来ることはなかった、というより見えないバリアにでも阻まれているように、我々を見かけても、追いかける足がピタッと止まってしまうようになったのだ。家が建つ頃には、小寺さんは縄張りを変え、殆ど見かけなくなった。
 
それから1,2年経ったある日、我が家から50歩程駅方面に向かう所にある、1軒で我々が住む集合住宅1棟分あるような、近所でも有数の豪邸に出入する小寺さんを目撃した。その家では既に小型犬を数件飼っているにも拘らず、小寺さんは終末を豪邸の飼い猫として送る事に成功していた。2年程、その家のガレージが電動であく度、よぼよぼと上がり込んでいく小寺さんの後姿を度々見た。そして、ぱったり姿を見なくなった。
 
飼い猫に生まれ、飼い猫に死す。人生の帳尻があった小寺さんの不屈の闘志と強運に幸来たりと、今も懐かしく思い出す。

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※小寺さんの写真がないので、柄はちょっと違いますが6年前江ノ島で見かけた三毛猫に登場願いました。小寺さんはもう少し白の部分が多い縞三毛でした