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Episode 1707 : The Disappointed 1 / Ms. Kodera

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練馬残念猫1 小寺さん
 
今から19年前の2月、婚約したばかりの主人と私は、新居の候補地を足で歩いて見ることにした。当時主人は世田谷に一人暮らし、私は池袋に家族と住んでおり、既に母が要介護状態だったので、独立しても通勤の行き帰りに実家へ寄る事が今後増えるだろうと思い、世田谷での独身生活が長く街を気に入っていた主人を説得し、池袋をキーステーションに、実家のある東上線とは路線を変えた西武池袋線沿線に住むことにした。最初は、商店街の活気があり住みやすそうな学生街、江古田に絞って物件を探したが、大学が3つもある学生街のため、ファミリー物件の玉数が少なく、不動産屋に隣駅の桜台を紹介された。
 
紹介された物件は、築年数は古いが、もともと大手銀行の家族向け社宅を1棟買いあげた集合住宅で、室内は手狭だが屋外収納が豊富で、駅から5分と通勤至便、千川通り・目白通り・環七に囲まれていながら割合閑静な場所だったので、第一候補において周辺を見て回ることにした。集合住宅の隣は古い一軒家で、猫好きの我々を歓迎するかのように、愛想の良い、しかし場末のバーのママみたいな声をした三毛猫が、庭から「に゛ゃ~」と出てきて主人の足元にすり寄りゴロンゴロン、表札に「小寺」と書いてあったので「この猫、ここの飼い猫かな」「懐っこいからそうだろう。小寺さん、よろしくね」とひとしきり遊んで帰った。
 
それから数か月後に入籍し、第一候補の集合住宅と契約して住み始めた。2月に会った「小寺さん」は、毎日のように小寺家の庭から飛び出してきては路面に転がって歓迎してくれた。小寺さんは人間が大好きなのか、人が通りがかると誰それ構わず飛び出しては路肩でゴロンゴロンし、嬉しそうに撫でて貰っているのを良く見かけた。しかし、住み始めて数か月した夏のある日、ゴロンゴロンしている小寺さんを足元にたからせている近所の方に「この猫、随分懐っこいですよね。そこの小寺さんの飼い猫ですか?」と聞いたら
 
「違うわよ」
 
確かにこの猫は、昔どこかの飼い猫だったが、飼い主が引っ越しの際置いて行かれて野良猫になってしまった。でも元来とても人が好きみたいで、こうやって愛想よく元気にやっていて、小寺家の庭も縄張りにしている。そう近所の人は教えてくれた。小寺さんは、小寺さんではなく、近所の人は皆勝手な名前で呼んでいた。そのおばさんも「みーちゃん」とでも呼んでいた。そして足元で会話を聞いていた小寺さんは、その頃から我々に対し猛進撃を始めたのである。
 
ある時から、小寺さんは夕方、集合玄関の物陰で我々を待ち伏せするようになった。私や主人の気配を感じると、どこからともなく現れ、すごい勢いで並走し、集合玄関を開けた瞬間先に入るようになった。ペット禁止の賃貸住宅なので、当然室内では飼えないが、とにかく猛烈なアタックを毎晩仕掛けられるので、何とか小寺さんに気付かれないよう入室すべく、先に帰宅した方が「今近くにいる」「遠回りして家に入れ」と携帯で連絡を取り合い、激しい攻防を繰り返したが、どうしても野生の勘には勝てず、何度か玄関を突破された。そういう時は仕方なく主人がおもてなしにひかりクレストキャット(注:当時飼っていたナマズ系熱帯魚の餌)をあげたらたいそう気に入られ、なかなか帰らない日に一度だけ泊めた事があった。泊まった日の小寺さんは、バスマットの上でひとしきり寛ぐとそわそわしだして「やう、やう、やーう」と何故か3発鳴いて「出せ、出せ」というので夜中に出してやると、明け方の5時ごろ、ちょうど私の枕元に当たる裏窓の下めがけて同じ「やう、やう、やーう」と3発鳴いて「入れろ、入れろ」とせがむのだ。多分小用で外に出ただけで、出ていくつもりはなかったのかもしれないが、それ以降は何とか集合玄関の要塞を死守し、何度も待ち伏せはされたが家に入れる事はなかった。
 
そのうち、小寺家が空き家になり、古い一軒家は取り壊され広大な空き地になり、暫くして新築家屋の工事が始まった。すると、まるで結界でもされたかのように、小寺さんは空き地を越えて二度とこちらに来ることはなかった、というより見えないバリアにでも阻まれているように、我々を見かけても、追いかける足がピタッと止まってしまうようになったのだ。家が建つ頃には、小寺さんは縄張りを変え、殆ど見かけなくなった。
 
それから1,2年経ったある日、我が家から50歩程駅方面に向かう所にある、1軒で我々が住む集合住宅1棟分あるような、近所でも有数の豪邸に出入する小寺さんを目撃した。その家では既に小型犬を数件飼っているにも拘らず、小寺さんは終末を豪邸の飼い猫として送る事に成功していた。2年程、その家のガレージが電動であく度、よぼよぼと上がり込んでいく小寺さんの後姿を度々見た。そして、ぱったり姿を見なくなった。
 
飼い猫に生まれ、飼い猫に死す。人生の帳尻があった小寺さんの不屈の闘志と強運に幸来たりと、今も懐かしく思い出す。

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※小寺さんの写真がないので、柄はちょっと違いますが6年前江ノ島で見かけた三毛猫に登場願いました。小寺さんはもう少し白の部分が多い縞三毛でした

 

ハンブルサーバントの独り言 Humble Mumble 7 ヘレナ・ボナム・カーター

 

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映画は大好きだ。私の人生から音楽と映画を除いたら生ける屍に、いやゾンビに、地縛霊になってしまう。(ほんとかよ)はまってしまうとひつこいので(ほんと)、例えば偶然BSとかで見かけたアメリカの人気テレビドラマとかが1、2年遅れで放送され気に入ってしまうと、毎週、毎週放映時間が待ちどおしくて!とかではいられない。録画なんかしない。(機械持ってないし)マイ・ブーム勃発だ。戦争だ!

先回りして、アマゾンで調べる。とっくにシーズンごとに発売されているDVDセットを23話3千円台でゲットする。日本版と比べ相当にお安いしコンパクトなのがいい。DVD1枚分のケースに工夫して5枚も6枚も入っている。これを考えた人は偉い!

当然DVDプレイヤーはリージョンフリーでないと見れません。機械に弱いので妹に選んでもらって設置しています。ホホホ。日本語字幕もないので、耳の悪い人用の英語字幕を設定して1日死人になる覚悟で、食事とトイレ以外は鑑賞に没頭する。とにかく筋を全部知っておきたい。この英語字幕もいい加減で全然内容を拾えてないのだが、難しい単語とかは出てるので概要はつかめ、勉強にもなる。イギリス北部が舞台のご当地映画だと訛りが酷くてかなり苦労するのも楽しみのうち。そして全容を掴んだあと、ゆとりのある時に数話ずつ見て、深めて泣く。ああ、いい時代だ。

 

ネットなどで調べると、気に入った俳優さんのプロフィールもわかるし、他にどんな作品に出ているかもわかり便利。日本では全くブレイクしてない人のほうが多いが、他の作品で意外な役をしてたりすると、そのDVDもつい探して安ければゲットしてしまう。ああ、いい時代だ。

最近、特に印象に残っているのがイギリスの女優さん、ティム・バートン監督の奥様でもあるヘレナ・ボナム・カーターだ。確か、デビュー作は「眺めのいい部屋」かなんかで清楚なお嬢さんを演じてたと思う。メキメキメキメキ色んな作品に出演し、意外な面も芸達者な部分もどんどん見せてくれている。ハリポタでもイッちゃってる魔女を黒づくめで怪演してたし、「スウイニー・ドット」でも人肉でパイを焼く愛に飢えた悲しいマダムを、「レ・ミゼラブル」ではコゼットをこき使う意地悪な夫婦の妻役を、ケネス・ブラナー監督の「シンデレラ」ではカボチャの馬車などを手配してあげるフェアリー・ゴッドマザーに。これが魔女の概念を覆す、シルバーに輝くとってもチャーミングでゴージャスな存在で彼女にぴったりだった。だいたい彼女、すごい早口なんだけどね。

そうそう、忘れてならないのが「英国王のスピーチ」での皇后様役だ。国民的アイドルをお茶目に気高く、超自然体で演じている。最後についてるインタビュー映像で「マシュマロのイメージでいこうと即、役柄を掴んだの!」と、のたまっていた。御意。でも最近の大ヒットはやっぱ、ご主人監督の「アリス・イン・ワンダーランド」新作、「時間の旅」だろう。頭の大きな赤の女王を猛烈なキャラ然として、演じきっている。中でも町を焼き尽くした後、怪物ジャヴァウォーキーの足につかまって空に飛んでいく時の「イ~ヒッヒッヒ~」という笑い声が忘れられない。ああ、ええ時代や~。

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Portishead / Third

Third


 90年代にトリップ・ホップの金字塔として君臨したポーティスヘッド、10年振りの新作です。前作までのひしひしとした底冷え感はそのままに、壁の分厚さが加わって、無防備な薄着感(それをヤラセ感とも呼ぶ)から万全な寒さ対策を施して業務用冷凍庫に突進していくような勢いを感じる秀作です。普通10年もブランクがあれば、過去のパロディに陥ってしまい、ファンをがっかりさせる事もありますが、彼らに至っては全くそんな心配は無用。是非、梅雨のむしむしを重厚な打込と寒い女声で払拭して下さい。(ユニバーサル、UICI-1069)

Jun. 2008

 

マンプク宮殿6 100円タンメンとMarquee Moon

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 上京して最初に住んだ街は中央線の西八王子駅前から歩いて15分の散田町という所。通学に使うバスの停留所から近い&家賃安い割にまあまあ広い間取り(四畳半+三畳、風呂なし、トイレ共同)という理由で決めた物件だったが、住んでみるとこれがまた大変。1階の角部屋だったが湿気が凄い。押入れに入れる湿気取りが1週間もしないうちに満タン。畳も素材がイグサではなく柔道部稽古場で使われるようなビニール畳の為、湿気が表面にベットリ残る。引っ越し初日、扉を開けるやいなやカマドウマに出迎えされた段階で嫌な予感がしていたがこれほどとは・・・・

 6月でもはっきりとした雨季が来ない東北から出てきて初めて体験する梅雨&その後の酷暑にも打ちひしがれ、冬も地元よりは暖かいとはいえ安普請のアパートでは容赦なく寒気が入り込んでくる。上階のトイレの水道が凍結し、使った奴が蛇口開けっ放しにしていた為、水が溢れて1階の自分の部屋の扉を濡らす→再凍結して外出る扉が開かない→授業遅刻という事態にあった時には2年の契約更新時に引っ越す事を強く誓ったものだった。

 この街の良いところと言えば食生活がとにかく安上がりに済んだ事。350円位で揚げ物てんこ盛りの定食食わせる店、18時過ぎには弁当総菜類が半値になるスーパー(その時間あたりには同じ大学の欠食学生が売り場近辺をウロウロ、含む私。)そして同じアパートに住んでる友人がコンビニ深夜バイト上がりの早朝に廃棄品弁当を差し入れてくれる。

閉店当時の地元情報サイトより。店名に注目

 そんな中で私が最も足繁く通ったのが「満腹亭」という店。この店は10年ほど前に閉店したらしいが最後までラーメン100円を貫いていたらしい。私の住んでいた頃はラーメンのみならずタンメンも100円だった。餃子は200円。ラーメンより餃子の方が高いとはいえ300円あれば満腹。本当に金欠のときはタンメンだけでもOK!。味?は・・・不味いとは思わなかった。凄い美味しいとは思わなかったがあの頃は美味い不味いより腹満たすのが最優先。100円で食わせてくれる処に文句なんて言うのがおかしいってもんです。

 学校営業時は学食で一応バランスも考えて食べているんだが、長期休暇中の食生活は実家に戻らない限り100円タンメンとコンビニ廃棄弁当とスーパー弁当値下げ品の無限ループに突入。そして迎えた春休み。何かの理由で徹夜してしまった私はそれを期に昼夜逆転生活に突入。朝、朝刊の配達の音とともに就寝(廃棄弁当が届けばそれを食べてから)14時位にいったん起きて100円ラーメン食べて部屋に戻りまた寝る。19-21時位に本格的に起きだしてスーパー営業時間内に起きれれば値下げ品の弁当やお惣菜を買って部屋に戻る・・・我ながら爛れた生活であきれ返るばかり。
 夜中に起きて何やっていたかといえば2枚のアルバムを延々とリピートして聴いていた。1枚はLOU REEDの「TRANSFORMER」そしてもう1枚はTELEVISIONの「MARQUEE MOON」。2枚とも今でも好きな作品だがこの時期の常軌を逸した聴き込みは空前絶後、特に「MARQUEE MOON」は一晩で5回とか6回とか聴いていたので持っていたアナログ盤は溝が摩耗しており、20年位前に聴き返してみたらバチバチと酷いノイズを出していた。傍から見れば社会不適応者のような生活をしていた時期を回顧するには相応しいノイズ。

 あれだけ聴きこんだモノがその後の人生に何か影響を与えたのかは判らない。確実なのは酒席で音楽好きな方たちと話してる時にたまに出る質問、「あなたはギタリストは誰が好きなの」に「トム・ヴァーレイン」と絶対答えること。色々と理屈やら見栄も混ざって、5人選べ、とか10人選べとかになると他の方は変動するのだけれど1人と言われるとこの人・・・・ロバート・フリップと僅差だけど。
 
 結局、この昼夜逆転は2週間程後、下痢が止まらなくなり余りの体調不良で実家へ避難。生活時間を元に戻し、まともな家庭料理を食べることで2年に進級直前に回復。そこからは知人の紹介で今も一緒にやっているベーシストに出会いバンド加入。ゼミやらバンドやらで諸々忙しくなり時間軸の狂った孤独な時間は無くなった。私はバンドに加入した事で生活がマトモになったんだろうなと今になれば思う。
 あの春休みを終えた後、100円タンメンはあまり行かなくなった。アパートの友人もコンビニバイトからジーンズ屋のバイトに変わり廃棄を貰えなくなった。スーパーは製造量調整したのか値下げ前にめぼしい物は売り切れるようになった。そして1年後には引っ越してしまい西八王子とも縁が切れた(引っ越し間際に大家さんとも喧嘩した)。

 18-19歳の頃の事は思い出すと楽しくない事が多いのだけれど、夜に一人で時間が余った場合は「MARQUEE MOON」を聴くことが今でもたまにある。環境の変化で自閉気味になっていた時期を乗り切る為に必要な「音」だったのでしょう。節目節目で今でもそんな気分になるときに頭の中で鳴っているのはこのアルバムの中の曲だから一々CDで再生する必要は無いのでしょうが。

 

マーキー・ムーン

 

Episode 1706 : I would talk about it when I went to heaven 1

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冥途の土産話 1
 
これだけは墓場まで持って行き、鬼籍の人びとに是非とも聞いて頂きたい「冥途の土産話」を、墓場へ行く前に備忘として綴っておこうと思う。
 
今から7年前の5月、介護中だった父が亡くなった。生前の父看取り介護については過去に書いたが、 それに負けじと劣らず忘れられない思い出がある。
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在りし日の父 20代
 
納棺の日、忌引きに突入した私は、姉と主人合わせて3人で納棺に立ち会った。互助会に加入していた父の葬儀は提携している区立の斎場で取り仕切られ、葬儀前から葬儀後まで、葬儀会社が事細かに面倒を見てくれた。納棺当日も、会社でいえば営業担当のような男性が朝から車で迎えに来てくれて、納棺では、定番の死に装束ではなく生前お気に入りだったスーツに身を包み横たわる父を「お父さん、ちょっとチョイ悪にしてあげましょう」などシャツの襟元を立たせたりと、湿っぽくなりがちな納棺の場をよく響く低音の声と意外な展開で盛り上げる、中々ノリの良い方だった。
 
納棺が滞りなく終わると、少々不便な場所にある斎場から実家のある板橋まで、営業さんが再度車を出してくれる事になった。右に姉、左に主人、後部座席に横並び3名、営業さんの運転で帰路に向かう途中、間に挟まれぼんやりと携帯電話のニュースサイトを見ていたら「レインボーの元ヴォーカリスト、ロニー・ジェイムス・ディオさん69歳で逝去」という訃報が飛び込んできた。主人と結婚して音楽の趣味が拡がり、実家では聴いたこともなかった70年代ハードロックもBGMのひとつとして普通にかかるようになった中で、卓越した歌唱力で迫るロニーのヴォーカルはジャンルを超越した壮麗さがあり、我が家では「サブちゃん」と親しく呼ぶまでになっていた。特に初来日公演を収録した「レインボー・オン・ステージ」は元気が出る一枚として愛聴盤となっていたので、急な訃報に思わず「えっ、ロニーが亡くなったって」と声に出してしまった。レインボーリアルタイム世代の姉も「えっ、ロニーが」主人も「えっ、ロニーが」その瞬間、
 
「えっ、ロニーが」
 
それまで黙って運転していた営業さんが、突然後部座席にきびすを返して叫んだのだ。
我々3人は、ロニーが急逝したよりも営業さんが突然、しかもロックな話に割って入ってきた事に一同衝撃を覚えた。
 
営業さんは、堰を切ったように「私は、中学生の頃からドアーズが大好きで、その流れから洋楽にはまりまして…」と、自身のロック遍歴を延々と語り始めた。後部座席の3人はいずれも洋楽には腕に覚えのある者ばかりだったので、それからというもの実家に着くまでの間、4人で猛烈にロック談義に花を咲かせ、あっという間に帰宅した。
 
翌日からのお通夜から告別式の流れも、親しくなった営業さんがさらにきめ細かく我々や参列者をねぎらい、段取よく式を執行してくれた。いよいよ出棺の場においてもノリよく「やはりここは、ジ・エンドですよね」と話しかけてくれたが、さすがにそれは親族の面前で大きくスベっていた。
 


在りし日のサブちゃん 1977年ミュンヘン公演

ハンブルサーバントの独り言 Humble Mumble 6 お父ちゃんの初七日 Seven Days in Heaven:父後七日

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台湾の葬式は変わっている。まあ、アジアはどこもそうだと思う。あっちから見たら日本の葬式はかなり楽な「手抜き」に見えるらしいが。

ハーフなもので、台湾の葬儀には数回呼ばれた。日本のように亡くなった後1週間以内にはすべて終わってるとか、そういうんじゃない。松竹梅、鶴亀狸とあるのだが、父の一族は偉い人が多く本葬は1か月後なんてザラだった。私たちはいつも最後のファイナル・セレモニーに呼ばれるわけだが、その1日だけでもすごい労力と装飾が見てとれた。

親が亡くなった場合、子供たちは独特な装束を身につける。男女違う。従妹とか姪になると、序列別にまた違うものを被ったり腕に巻いたりする。仏教ではなく、道教と何か混ざった独特の雰囲気で、立ったり座ったり、立ったり座ったり、拝んだり、拝んだり、司会者の掛け声に合わせて、皆動く動く。クライマックスになると、やっぱり、なんか、プカプカドンドンの楽隊みたいのが出てくる。祭壇には各種果物、お菓子、飲み物、豚の頭など飾ってある。

日本語のわかる年配の親戚が「殺生するな!」とお供えを見て憤慨していたので、豚の頭は限りなくオプションなのかもしれない。笑顔なんです、豚さん。

参列者の最後は地元の国会議員だったりして、故人が偉ければ偉いほど、それは顕著に現れ、垂れ幕なんかにも議員さんの名前が書かれていた。去年末亡くなった最年長の従姉(83)の葬儀では、献花が全部胡蝶蘭で豪華だった。日本で言うところの最後の精進振る舞いのお食事も、円卓で腰が抜けるほどの御馳走三昧で、トリを飾る上海ガニのおこわをドギー・パックにしてくれ姉妹でこっそり日本に持って帰った。

 

たまたま見つけたこの台湾映画は、台湾南部の田舎町、彰化県田中での、ランクでいったら「ツルカメタヌキ」の「タヌ」くらいのランクだろうか。台北の外資系で働いてる長女、地元の夜市で働いてる弟の父親が急死し、その葬儀を通しての慌ただしさと悲喜こもごもをベタベタに描いている。変な恰好の導師の指示に従って、姉弟が言われるままにふり回されるように父を弔っていく。日時なども風水で決める。縁起もかつぐ。盛り上げ方などは地域と予算によっても様々だとは思うが、この映画ではかなり庶民的な台湾の葬儀を「はああ~」と見ることができる。やっぱり地元の議員さんも売名行為に来る。

いつも煙草をふかしていたお父ちゃん。夜市でエッチな下着を売ったり、カラオケで熱唱したり、お父ちゃんの思い出は案外下品だがリアルだ。「故人の好きだったものを」と導師に言われ、弟が慌ててヌード雑誌を取りにいき棺桶に入れたりする。

それでもLife Goes On.何がなんだかわからないまま、葬儀後姉はさらに上級の外資会社に転職し、香港や日本など飛び回るようになる。慌ただしく過ぎていく日常。葬儀があったなんて嘘みたいに。でも、空港で移動中、いつも父親が吸っていた煙草のパッケージがふと目に入ると、姉はいつまでも泣き続ける。

台湾語はわからないので英語字幕で見ました。この映画、父と一緒に見てみたかったな。

お父ちゃんの初七日 (父後七日) 台湾映画OST (台湾盤)

 

Metro / Metro

Metro


 私の今年上半期ベストに輝く1枚です。70年代モダンポップですが、美しい旋律にのる歌詞は、韓流も真っ青のベタベタ悲恋もの。中心人物のダンカン・ブラウンはVo.のピーター・ゴドウィンとはゲイのカップルだったらしく、破局後脱退。闘病の末‘93年に逝去しました。やっと再発されたのに、悲喜こもごもです。(エアー・メイル・レコーディングス PGL-9404)

May 2006