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ハンブルサーバントの独り言 Humble Mumble Summer Special : Who Do You Think You Are(BBC) あるいはSuffragette(未来を花束にして)

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2004年から好評を博しているUKの先祖探しTV番組、Who Do You Think You Are.
そういえばイギリスの何人かの友達との会話にも何回か登場していた。先日4半世紀ぶりに会いにいったEssexPeter親子は「探しても探しても、どこまでも貧乏だった。「Happy but Poor!」と笑っていたけど。はからずしも、我が家もひょんなことから最近、父方の曾祖父がオランダ人だったということが判明した。台湾がオランダの統治下だった時代があるし、大航海時代の事、どこで何があってもおかしくないけど、「自分が何でできているのか」と考えた時、妄想は果てしなく広がる。しかし、冷静に歴史などを調べていくと残酷な事実にぶち当たったりもする。今のように格安航空券もない時代、わざわざ台湾までやってきた曾祖父はそこそこのミッションを持っていたのだろう。そこに十代の曾祖母(中華)が下女として入り、おてつきで生まれたのが祖母。ダッチはさっさと次なる目的地に旅立ち、着地点はイギリス。そこで家庭を築いて落ち着いた...のなら、我が家の英国との深い縁にも納得がいく。祖母はその後、祖母にとっての祖父母により、おそらく、混血でもいいところに嫁に出すため「纏足」までして17歳位で結婚している。祖母と話ができるなら、色々女同士聞いてみたいものだ。洋名Kimburley。私たちに現れた日本人らしからぬ骨格と白い肌は確かにダッチゆずりだとも思う。だから何なのって、それ以上でもそれ以下でもないけど、DNAとは不思議である。ちなみに祖母は富豪の妻として沢山子供を産み育て、天寿を全うしています(笑)
満を持して爆進中のLPT Grossmith特集。万博出展!ワラント獲得!香水のレシピ発見!子孫が復興!などと、非常にドラマチックだ。しかし、先祖探しの中でもこれはかなり異例のケースだろう。毎日ドキドキして読み進む中に前出のWho Do you~が添付されており、勢い50分以上にわたるアニー・レノックスの回を真剣に最後まで見てしまった。貧困、どこまでいっても貧困。よくて工場で働き、ついつい何度も私生児を産んでしまい、育てられないから大叔母に「下働き」として預けるが「Useless」として戻されてしまう。当時行き場のない貧しい子供は「商品」扱いだった...「ビクトリア朝って、なんて残酷なの!貧困て醜いわ」涙ぐむアニー。自分の先祖のひとりでも、そんな思いをして夭逝していたとしたら...
時を同じくして、偶然今春公開されていたUK映画、Suffragette(未来を花束にして)を連載開始直前に見た。1912年貧しいロンドンが舞台だ。女性参政権を得るために奮闘した女性達の実話に基づく映画だが、不思議な事にGrossmith特集の時代背景となんだかかぶるのだ。女王様の国なのに、英国では当時女性には参政権がなかったという。「女性は感情的で、政治的問題には冷静な判断ができないから」というのが理由だそうだ。洗濯工場で7歳でパート、12歳でフルタイムとして働く。低賃金に過酷な労働。セクハラ。皆、短命。それでもささやかな家庭を築くが、男女平等、参政権獲得を声高にアジる特権階級のマダムに感化され、次第に活動に参加していく。言ってもわかってもらえないから、彼女たちの行動は器物破損、ポストに爆弾、金持ちの別荘爆破...と過激きわまりない。投獄されればハンストもする。活動家の一人、薬剤師として登場しているヘレナ・ボナム・カーター(まいど!)でさえ警官につかまればこん棒でボコボコに殴られる。「違う人生が送れるかもしれない...」と活動にのめり込んでいく主人公。でも待っていたのは家庭崩壊。仲間の死。何度も投獄される妻に嫌気がさした夫は、幼い一人息子を勝手に養子に出し離婚。養子に出された坊やにはまた違う人生が待っていて、違うファミリーツリーができて...
この映画を見た後、特集記事を読むと、時代背景が何か3Dで浮かび上がるようで。一生ド貧乏の彼女たちは、香水の「こ」の字とも縁がなく、安全な場所から彼女たちを煽る特権階級の思想家婦人は、綺麗なお洋服、すばらしい香水に日々囲まれ、違うファミリーツリーを築いていくのだろう。
お時間のある方はSuffragetteも是非見てみて下さい以上、ハン1からの絶叫レポートでした!コケーッ!!

未来を花束にして [DVD]

4 Aug 2017

マンプク宮殿7 ビッグマックとCLOSER

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どこの地方都市でも大体そうだとは思うが、私の育った街も1980年代初頭位までは全国チェーン展開している外食産業、小売業系の店舗は殆ど進出して来ていなかった。地元資本のチェーン店、個人経営店舗で商店街は形成され、どこも18時、遅くても19時には閉店し表通りは閑古鳥、裏に並走する飲み屋街(これも殆どは個人経営の酒場中心)に人の流れは移り、酔客が闊歩するのみという光景が普通だった。夜遅くに街を徘徊するような生活は送っていなかったが(高校2年まで21時には寝ていたような人間なので・・・)街のハレとケは明確に分断され、ここから先は子供の行くような場所や時間では無いという事が明確に認識できる雰囲気を感じていた。
 それが変わり始めたのが東北新幹線開通した頃、駅ビルに最初に入ったハンバーガーチェーンがロッテリア、ほどなく駅よりかなり離れているが昔から賑わっていた商店街にマクドナルドが進出して来た。
 名前だけは知っている有名店、今まで食べる事の殆ど無かった「ハンバーガー」なるものを食べてみようと友人と連れ立って入ってみたが、確かあの頃は単なるハンバーガーで¥180、チーズバーガーで¥200、金欠中学生はとりあえず無印ハンバーガー。ポテト?ドリンク?そんなもん要らん!と食べてみると旨い不味い以前に小さすぎ!とても腹が満たされない。だからと言ってセット頼むと¥500近くて贅沢過ぎ。こんな小さいものをアメリカ人のデカい奴らは食べて満足するのか?それとも1人2個3個一挙に食べるのか?という疑問を持ちながらメニューを再見すると「ビッグマック」というものが目に入った。1個¥350・・・天文学的な高値と思いつつこれ食べれば満腹にはなるのだろうなと思い満たされないまま家路についた。2度と入る事ないなと思いつつ。


マクドナルドと言えばドナルド。ドナルドと言えば、ちょっと前はこれでした


 同じ頃、私は音楽雑誌でちょこちょこ名前が出て来るバンドに強い関心を抱いていた。「joy division」アルバムは「closer」これらの単語に付随してくる文章と言えば「ボーカリストが首つり自殺して解散」「イギリスの陰鬱な若者たちに絶大なる人気」「バンド名の由来はナチスの将校用慰安所の名称」。日本でも人気上がってきていた新人バンドECHO&THE BUNNYMENとかU2の記事でも名前が良く出てくる。たまに雑誌で見る写真ではどこにでも居そうな地味な連中が俯き加減で廃墟みたいな室内、雪で真白な橋の上等で所在なく佇んでるコントラストが強いモノクロ写真。「どう考えても自分好みの音に違いない」という強い確信を持つに至るが日本盤未発売の為地元のレコード店では売っていないといういつものパターンに頭を掻き毟り、異常乾燥注意報の為パサパサになった頭皮からフケを撒き散らしていた。
 懇意にしていた中古盤屋数店に入荷したら連絡を貰えるよう頼んで数カ月、その中の1店から入荷の連絡が入った。場所はあのマクドナルドの近所。授業が終わってから部活をサボり自転車を飛ばして店へ向かった。確かにそのアルバムはそこにあった。イギリスのバンドなのに何故かスペイン盤、オリジナル盤を知っている今だからこそ判るが紙質は薄くてザラザラ、印刷も荒い、音質もあまり良くなかった。そのせいかも知れないが自分が予想していたよりかなり安価。比較対処するものを知らない私は自分が永い事捜していたものを安く買えた事で有頂天になり店を出た。ペダルを漕ぐ脚も軽く。そして何を思ったのかマクドナルドへ向かう。

McDonald's FOOD STRAP/マクドナルド フードストラップ 第1弾 【1.ビッグマック】(食玩) 記号:まる
ビッグマック型ストラップ。実際はこんなにボリュームないと思います


 自分が用意していたお金と購入した金額の差額は¥500。気が大きくなっていたのだろうか?そのお金でビックマックとコーラ(S)を頼んでしまった。店には全くそぐわしくないキリストの死を嘆き悲しむ彫像写真をジャケに使ったアルバムを机に出して眺めながらビッグマックを食べた。美味しかったか?否、ただ量が多いだけで胸やけがした。

 ムカムカする胃を抱えながら自宅に帰り早速レコードを再生する。1曲目、タムを廻してるのみのドラム、音程がどっかいっちゃった唄。電動ノコギリみたいな音しか出してないギター。妙にメロディアスだがリズムキープという概念が全く無いようなベース・・・曲名はatrocity exhibition。JGバラードの小説のタイトルが元ネタ、邦題「残虐行為展覧会」だったか?

 聴き始めは「こりゃ失敗したかな?」と思ったがA面最後あたりでどんどん引きこまれていきB面全て聴き終える頃には圧倒されていた。その日は夕飯まで何回もリピート、食事後も寝るまでこれだけを聴き、それから数カ月は毎日必ず聴いていた為、高校を卒業する頃には溝が磨滅してしまい雑音塗れになってしまっていた。あれだけ負のオーラを漂わす演奏(そして下手)徹底的に厭世的な歌詞、リバーブとディレイで凍てつくような世界を具現化したプロデュース。恐らく本人たちだって意図しないで出来てしまったような作品ではないかと今では思うが10代の自分には「これだけネガティブでも突き抜ければこんな凄い作品になるんだ」という人生負け犬街道まっしぐらへ迷い込ませた罪深いアルバムがこいつなのは間違いない。

 彼らが作品を発表してたレーベル、FACTORYはマンテェスターに基盤を置いた独立系のレーベル。70年代末から80年代は独立系レーベルが活況で商業的にも成立していた。ROUGH TRADE, MUTE , 4AD,RED RHINO,MIDNIGHT MUSIC,FIRE等等。ディストリビュートの崩壊に伴い倒産やメジャー系に買収され始めたのが90年代頭。奇しくも私の故郷に全国チェーンの外食産業、大型チェーンストア、コンビニ等が大量出店始めた時期と重なる。今では街のメイン通りはチェーン店ばかりが目立つようになってしまった。

 ビッグマックには魅せられなかったが「closer」は今でも我が家のリファレンスディスクの座を守り通している。そういう我が家は帰省しても最近は時代に抗うように残っている地域に足が向くようになってきている。時代に見捨てられたのやらこちらから見切ったのやら・・・・

クローサー【コレクターズ・エディション】

不休の名盤 クローサー/ジョイ・ディヴィジョン 実家にあったLPは、中2の頃池袋
オンステージヤマノで買ったアメリカ盤でした。

Episode 1707 : The Disappointed 1 / Ms. Kodera

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練馬残念猫1 小寺さん
 
今から19年前の2月、婚約したばかりの主人と私は、新居の候補地を足で歩いて見ることにした。当時主人は世田谷に一人暮らし、私は池袋に家族と住んでおり、既に母が要介護状態だったので、独立しても通勤の行き帰りに実家へ寄る事が今後増えるだろうと思い、世田谷での独身生活が長く街を気に入っていた主人を説得し、池袋をキーステーションに、実家のある東上線とは路線を変えた西武池袋線沿線に住むことにした。最初は、商店街の活気があり住みやすそうな学生街、江古田に絞って物件を探したが、大学が3つもある学生街のため、ファミリー物件の玉数が少なく、不動産屋に隣駅の桜台を紹介された。
 
紹介された物件は、築年数は古いが、もともと大手銀行の家族向け社宅を1棟買いあげた集合住宅で、室内は手狭だが屋外収納が豊富で、駅から5分と通勤至便、千川通り・目白通り・環七に囲まれていながら割合閑静な場所だったので、第一候補において周辺を見て回ることにした。集合住宅の隣は古い一軒家で、猫好きの我々を歓迎するかのように、愛想の良い、しかし場末のバーのママみたいな声をした三毛猫が、庭から「に゛ゃ~」と出てきて主人の足元にすり寄りゴロンゴロン、表札に「小寺」と書いてあったので「この猫、ここの飼い猫かな」「懐っこいからそうだろう。小寺さん、よろしくね」とひとしきり遊んで帰った。
 
それから数か月後に入籍し、第一候補の集合住宅と契約して住み始めた。2月に会った「小寺さん」は、毎日のように小寺家の庭から飛び出してきては路面に転がって歓迎してくれた。小寺さんは人間が大好きなのか、人が通りがかると誰それ構わず飛び出しては路肩でゴロンゴロンし、嬉しそうに撫でて貰っているのを良く見かけた。しかし、住み始めて数か月した夏のある日、ゴロンゴロンしている小寺さんを足元にたからせている近所の方に「この猫、随分懐っこいですよね。そこの小寺さんの飼い猫ですか?」と聞いたら
 
「違うわよ」
 
確かにこの猫は、昔どこかの飼い猫だったが、飼い主が引っ越しの際置いて行かれて野良猫になってしまった。でも元来とても人が好きみたいで、こうやって愛想よく元気にやっていて、小寺家の庭も縄張りにしている。そう近所の人は教えてくれた。小寺さんは、小寺さんではなく、近所の人は皆勝手な名前で呼んでいた。そのおばさんも「みーちゃん」とでも呼んでいた。そして足元で会話を聞いていた小寺さんは、その頃から我々に対し猛進撃を始めたのである。
 
ある時から、小寺さんは夕方、集合玄関の物陰で我々を待ち伏せするようになった。私や主人の気配を感じると、どこからともなく現れ、すごい勢いで並走し、集合玄関を開けた瞬間先に入るようになった。ペット禁止の賃貸住宅なので、当然室内では飼えないが、とにかく猛烈なアタックを毎晩仕掛けられるので、何とか小寺さんに気付かれないよう入室すべく、先に帰宅した方が「今近くにいる」「遠回りして家に入れ」と携帯で連絡を取り合い、激しい攻防を繰り返したが、どうしても野生の勘には勝てず、何度か玄関を突破された。そういう時は仕方なく主人がおもてなしにひかりクレストキャット(注:当時飼っていたナマズ系熱帯魚の餌)をあげたらたいそう気に入られ、なかなか帰らない日に一度だけ泊めた事があった。泊まった日の小寺さんは、バスマットの上でひとしきり寛ぐとそわそわしだして「やう、やう、やーう」と何故か3発鳴いて「出せ、出せ」というので夜中に出してやると、明け方の5時ごろ、ちょうど私の枕元に当たる裏窓の下めがけて同じ「やう、やう、やーう」と3発鳴いて「入れろ、入れろ」とせがむのだ。多分小用で外に出ただけで、出ていくつもりはなかったのかもしれないが、それ以降は何とか集合玄関の要塞を死守し、何度も待ち伏せはされたが家に入れる事はなかった。
 
そのうち、小寺家が空き家になり、古い一軒家は取り壊され広大な空き地になり、暫くして新築家屋の工事が始まった。すると、まるで結界でもされたかのように、小寺さんは空き地を越えて二度とこちらに来ることはなかった、というより見えないバリアにでも阻まれているように、我々を見かけても、追いかける足がピタッと止まってしまうようになったのだ。家が建つ頃には、小寺さんは縄張りを変え、殆ど見かけなくなった。
 
それから1,2年経ったある日、我が家から50歩程駅方面に向かう所にある、1軒で我々が住む集合住宅1棟分あるような、近所でも有数の豪邸に出入する小寺さんを目撃した。その家では既に小型犬を数件飼っているにも拘らず、小寺さんは終末を豪邸の飼い猫として送る事に成功していた。2年程、その家のガレージが電動であく度、よぼよぼと上がり込んでいく小寺さんの後姿を度々見た。そして、ぱったり姿を見なくなった。
 
飼い猫に生まれ、飼い猫に死す。人生の帳尻があった小寺さんの不屈の闘志と強運に幸来たりと、今も懐かしく思い出す。

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※小寺さんの写真がないので、柄はちょっと違いますが6年前江ノ島で見かけた三毛猫に登場願いました。小寺さんはもう少し白の部分が多い縞三毛でした

 

ハンブルサーバントの独り言 Humble Mumble 7 ヘレナ・ボナム・カーター

 

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映画は大好きだ。私の人生から音楽と映画を除いたら生ける屍に、いやゾンビに、地縛霊になってしまう。(ほんとかよ)はまってしまうとひつこいので(ほんと)、例えば偶然BSとかで見かけたアメリカの人気テレビドラマとかが1、2年遅れで放送され気に入ってしまうと、毎週、毎週放映時間が待ちどおしくて!とかではいられない。録画なんかしない。(機械持ってないし)マイ・ブーム勃発だ。戦争だ!

先回りして、アマゾンで調べる。とっくにシーズンごとに発売されているDVDセットを23話3千円台でゲットする。日本版と比べ相当にお安いしコンパクトなのがいい。DVD1枚分のケースに工夫して5枚も6枚も入っている。これを考えた人は偉い!

当然DVDプレイヤーはリージョンフリーでないと見れません。機械に弱いので妹に選んでもらって設置しています。ホホホ。日本語字幕もないので、耳の悪い人用の英語字幕を設定して1日死人になる覚悟で、食事とトイレ以外は鑑賞に没頭する。とにかく筋を全部知っておきたい。この英語字幕もいい加減で全然内容を拾えてないのだが、難しい単語とかは出てるので概要はつかめ、勉強にもなる。イギリス北部が舞台のご当地映画だと訛りが酷くてかなり苦労するのも楽しみのうち。そして全容を掴んだあと、ゆとりのある時に数話ずつ見て、深めて泣く。ああ、いい時代だ。

 

ネットなどで調べると、気に入った俳優さんのプロフィールもわかるし、他にどんな作品に出ているかもわかり便利。日本では全くブレイクしてない人のほうが多いが、他の作品で意外な役をしてたりすると、そのDVDもつい探して安ければゲットしてしまう。ああ、いい時代だ。

最近、特に印象に残っているのがイギリスの女優さん、ティム・バートン監督の奥様でもあるヘレナ・ボナム・カーターだ。確か、デビュー作は「眺めのいい部屋」かなんかで清楚なお嬢さんを演じてたと思う。メキメキメキメキ色んな作品に出演し、意外な面も芸達者な部分もどんどん見せてくれている。ハリポタでもイッちゃってる魔女を黒づくめで怪演してたし、「スウイニー・ドット」でも人肉でパイを焼く愛に飢えた悲しいマダムを、「レ・ミゼラブル」ではコゼットをこき使う意地悪な夫婦の妻役を、ケネス・ブラナー監督の「シンデレラ」ではカボチャの馬車などを手配してあげるフェアリー・ゴッドマザーに。これが魔女の概念を覆す、シルバーに輝くとってもチャーミングでゴージャスな存在で彼女にぴったりだった。だいたい彼女、すごい早口なんだけどね。

そうそう、忘れてならないのが「英国王のスピーチ」での皇后様役だ。国民的アイドルをお茶目に気高く、超自然体で演じている。最後についてるインタビュー映像で「マシュマロのイメージでいこうと即、役柄を掴んだの!」と、のたまっていた。御意。でも最近の大ヒットはやっぱ、ご主人監督の「アリス・イン・ワンダーランド」新作、「時間の旅」だろう。頭の大きな赤の女王を猛烈なキャラ然として、演じきっている。中でも町を焼き尽くした後、怪物ジャヴァウォーキーの足につかまって空に飛んでいく時の「イ~ヒッヒッヒ~」という笑い声が忘れられない。ああ、ええ時代や~。

アリス・イン・ワンダーランド/時間の旅 MovieNEX [ブルーレイ+DVD+デジタルコピー(クラウド対応)+MovieNEXワールド] [Blu-ray]

 

Portishead / Third

Third


 90年代にトリップ・ホップの金字塔として君臨したポーティスヘッド、10年振りの新作です。前作までのひしひしとした底冷え感はそのままに、壁の分厚さが加わって、無防備な薄着感(それをヤラセ感とも呼ぶ)から万全な寒さ対策を施して業務用冷凍庫に突進していくような勢いを感じる秀作です。普通10年もブランクがあれば、過去のパロディに陥ってしまい、ファンをがっかりさせる事もありますが、彼らに至っては全くそんな心配は無用。是非、梅雨のむしむしを重厚な打込と寒い女声で払拭して下さい。(ユニバーサル、UICI-1069)

Jun. 2008

 

マンプク宮殿6 100円タンメンとMarquee Moon

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 上京して最初に住んだ街は中央線の西八王子駅前から歩いて15分の散田町という所。通学に使うバスの停留所から近い&家賃安い割にまあまあ広い間取り(四畳半+三畳、風呂なし、トイレ共同)という理由で決めた物件だったが、住んでみるとこれがまた大変。1階の角部屋だったが湿気が凄い。押入れに入れる湿気取りが1週間もしないうちに満タン。畳も素材がイグサではなく柔道部稽古場で使われるようなビニール畳の為、湿気が表面にベットリ残る。引っ越し初日、扉を開けるやいなやカマドウマに出迎えされた段階で嫌な予感がしていたがこれほどとは・・・・

 6月でもはっきりとした雨季が来ない東北から出てきて初めて体験する梅雨&その後の酷暑にも打ちひしがれ、冬も地元よりは暖かいとはいえ安普請のアパートでは容赦なく寒気が入り込んでくる。上階のトイレの水道が凍結し、使った奴が蛇口開けっ放しにしていた為、水が溢れて1階の自分の部屋の扉を濡らす→再凍結して外出る扉が開かない→授業遅刻という事態にあった時には2年の契約更新時に引っ越す事を強く誓ったものだった。

 この街の良いところと言えば食生活がとにかく安上がりに済んだ事。350円位で揚げ物てんこ盛りの定食食わせる店、18時過ぎには弁当総菜類が半値になるスーパー(その時間あたりには同じ大学の欠食学生が売り場近辺をウロウロ、含む私。)そして同じアパートに住んでる友人がコンビニ深夜バイト上がりの早朝に廃棄品弁当を差し入れてくれる。

閉店当時の地元情報サイトより。店名に注目

 そんな中で私が最も足繁く通ったのが「満腹亭」という店。この店は10年ほど前に閉店したらしいが最後までラーメン100円を貫いていたらしい。私の住んでいた頃はラーメンのみならずタンメンも100円だった。餃子は200円。ラーメンより餃子の方が高いとはいえ300円あれば満腹。本当に金欠のときはタンメンだけでもOK!。味?は・・・不味いとは思わなかった。凄い美味しいとは思わなかったがあの頃は美味い不味いより腹満たすのが最優先。100円で食わせてくれる処に文句なんて言うのがおかしいってもんです。

 学校営業時は学食で一応バランスも考えて食べているんだが、長期休暇中の食生活は実家に戻らない限り100円タンメンとコンビニ廃棄弁当とスーパー弁当値下げ品の無限ループに突入。そして迎えた春休み。何かの理由で徹夜してしまった私はそれを期に昼夜逆転生活に突入。朝、朝刊の配達の音とともに就寝(廃棄弁当が届けばそれを食べてから)14時位にいったん起きて100円ラーメン食べて部屋に戻りまた寝る。19-21時位に本格的に起きだしてスーパー営業時間内に起きれれば値下げ品の弁当やお惣菜を買って部屋に戻る・・・我ながら爛れた生活であきれ返るばかり。
 夜中に起きて何やっていたかといえば2枚のアルバムを延々とリピートして聴いていた。1枚はLOU REEDの「TRANSFORMER」そしてもう1枚はTELEVISIONの「MARQUEE MOON」。2枚とも今でも好きな作品だがこの時期の常軌を逸した聴き込みは空前絶後、特に「MARQUEE MOON」は一晩で5回とか6回とか聴いていたので持っていたアナログ盤は溝が摩耗しており、20年位前に聴き返してみたらバチバチと酷いノイズを出していた。傍から見れば社会不適応者のような生活をしていた時期を回顧するには相応しいノイズ。

 あれだけ聴きこんだモノがその後の人生に何か影響を与えたのかは判らない。確実なのは酒席で音楽好きな方たちと話してる時にたまに出る質問、「あなたはギタリストは誰が好きなの」に「トム・ヴァーレイン」と絶対答えること。色々と理屈やら見栄も混ざって、5人選べ、とか10人選べとかになると他の方は変動するのだけれど1人と言われるとこの人・・・・ロバート・フリップと僅差だけど。
 
 結局、この昼夜逆転は2週間程後、下痢が止まらなくなり余りの体調不良で実家へ避難。生活時間を元に戻し、まともな家庭料理を食べることで2年に進級直前に回復。そこからは知人の紹介で今も一緒にやっているベーシストに出会いバンド加入。ゼミやらバンドやらで諸々忙しくなり時間軸の狂った孤独な時間は無くなった。私はバンドに加入した事で生活がマトモになったんだろうなと今になれば思う。
 あの春休みを終えた後、100円タンメンはあまり行かなくなった。アパートの友人もコンビニバイトからジーンズ屋のバイトに変わり廃棄を貰えなくなった。スーパーは製造量調整したのか値下げ前にめぼしい物は売り切れるようになった。そして1年後には引っ越してしまい西八王子とも縁が切れた(引っ越し間際に大家さんとも喧嘩した)。

 18-19歳の頃の事は思い出すと楽しくない事が多いのだけれど、夜に一人で時間が余った場合は「MARQUEE MOON」を聴くことが今でもたまにある。環境の変化で自閉気味になっていた時期を乗り切る為に必要な「音」だったのでしょう。節目節目で今でもそんな気分になるときに頭の中で鳴っているのはこのアルバムの中の曲だから一々CDで再生する必要は無いのでしょうが。

 

マーキー・ムーン

 

Episode 1706 : I would talk about it when I went to heaven 1

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冥途の土産話 1
 
これだけは墓場まで持って行き、鬼籍の人びとに是非とも聞いて頂きたい「冥途の土産話」を、墓場へ行く前に備忘として綴っておこうと思う。
 
今から7年前の5月、介護中だった父が亡くなった。生前の父看取り介護については過去に書いたが、 それに負けじと劣らず忘れられない思い出がある。
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在りし日の父 20代
 
納棺の日、忌引きに突入した私は、姉と主人合わせて3人で納棺に立ち会った。互助会に加入していた父の葬儀は提携している区立の斎場で取り仕切られ、葬儀前から葬儀後まで、葬儀会社が事細かに面倒を見てくれた。納棺当日も、会社でいえば営業担当のような男性が朝から車で迎えに来てくれて、納棺では、定番の死に装束ではなく生前お気に入りだったスーツに身を包み横たわる父を「お父さん、ちょっとチョイ悪にしてあげましょう」などシャツの襟元を立たせたりと、湿っぽくなりがちな納棺の場をよく響く低音の声と意外な展開で盛り上げる、中々ノリの良い方だった。
 
納棺が滞りなく終わると、少々不便な場所にある斎場から実家のある板橋まで、営業さんが再度車を出してくれる事になった。右に姉、左に主人、後部座席に横並び3名、営業さんの運転で帰路に向かう途中、間に挟まれぼんやりと携帯電話のニュースサイトを見ていたら「レインボーの元ヴォーカリスト、ロニー・ジェイムス・ディオさん69歳で逝去」という訃報が飛び込んできた。主人と結婚して音楽の趣味が拡がり、実家では聴いたこともなかった70年代ハードロックもBGMのひとつとして普通にかかるようになった中で、卓越した歌唱力で迫るロニーのヴォーカルはジャンルを超越した壮麗さがあり、我が家では「サブちゃん」と親しく呼ぶまでになっていた。特に初来日公演を収録した「レインボー・オン・ステージ」は元気が出る一枚として愛聴盤となっていたので、急な訃報に思わず「えっ、ロニーが亡くなったって」と声に出してしまった。レインボーリアルタイム世代の姉も「えっ、ロニーが」主人も「えっ、ロニーが」その瞬間、
 
「えっ、ロニーが」
 
それまで黙って運転していた営業さんが、突然後部座席にきびすを返して叫んだのだ。
我々3人は、ロニーが急逝したよりも営業さんが突然、しかもロックな話に割って入ってきた事に一同衝撃を覚えた。
 
営業さんは、堰を切ったように「私は、中学生の頃からドアーズが大好きで、その流れから洋楽にはまりまして…」と、自身のロック遍歴を延々と語り始めた。後部座席の3人はいずれも洋楽には腕に覚えのある者ばかりだったので、それからというもの実家に着くまでの間、4人で猛烈にロック談義に花を咲かせ、あっという間に帰宅した。
 
翌日からのお通夜から告別式の流れも、親しくなった営業さんがさらにきめ細かく我々や参列者をねぎらい、段取よく式を執行してくれた。いよいよ出棺の場においてもノリよく「やはりここは、ジ・エンドですよね」と話しかけてくれたが、さすがにそれは親族の面前で大きくスベっていた。
 


在りし日のサブちゃん 1977年ミュンヘン公演