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Episode 1806 : I would talk about it when I went to Heaven 3-4

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冥途の土産話 3-4
 
【前回までのあらすじ】学生時代文通し対面叶うも、活動の失速と共に音信不通となり、過去の思い出となっていたゴシック・ロックバンドが、まさかの来日?!しかも来日間近に本人から直接連絡が!吃驚仰天続きの2015年春、人生、ノンストップ!
 
正月明けに来日が決まり、信じられない思いに反して脊髄反射でチケット購入はしたものの、果たして本当に来日は叶うのか、当日箱に入るまで、この眼で本当に見るまでは信じられない。というのも、このバンドを招聘したプロモーターは、採算を考えるとどこも呼ばないようなバンドや、あの人は今的な化石バンドを招聘してくれる唯一無二の存在ではあるが、それと同時に来日中止になる確率も他の呼び屋では考えられない程高く、まず半分か、いや2/3の来日は延期か中止になっている。現在もこの呼び屋は営業しているが、ライブは観たいが中止になった場合のダメージが大きいので(払い戻しの手間だけでなく、場合によってはライブ日程に合わせ、宿泊や飛行機・新幹線など移動の手配をしている遠方の方にとってドタキャンは被害甚大)、最近では皆トラブルを避ける為当日券で観ようとするため前売りが売れない→動員のめどが立たない→中止、という負のスパイラルに陥っており、中止になる確率はうなぎ登りだ。だから、来日の数週間前に文通相手から最初にメールが来た時は動揺するも「本当に来るんだ!!」と安堵もしたが、何往復かやり取りするうちに、来日公演の10日前に来たメールには、その安堵を揺り戻すかのような内容が綴られてきた。
 
「来週には日本へ発たなければならないのに、興行ビザがまだおりないんだ」
 
来日アーティストは、在外日本大使館が発行した興行ビザなしで入国し、演奏活動を行う事が明るみに出た場合は入国が出来ない。またアーティストが自分の国の日本大使館に直接申請するのではなく、呼び屋が法務省入国管理局に在留資格認定証明書を発行してもらい、それをアーティストのいる国の日本大使館へ郵送し、大使館が発行した興行ビザをアーティスト本人が直接取りに行って、初めて飛行機に乗って日本に来れるのである。そのビザを発行する為の在留資格認定証明書を「呼び屋が手配できていない」ため、当然ビザも発行されていない。出発は来週。大使館はロンドン。メンバー全員がロンドン在住でもなく、特に文通相手は現在ジュネーブに住んでおり、刻一刻と迫る出発日に固唾を飲んで待っているという。ああ、こんなのは枚挙に暇がないからドタキャンばかりなんだろうな…裏話をまさか来日バンド側から聞かされるとは思いもよらなかったが、メールは「ライブの前でも後でも良いから、会いに来て」と締めくくられていた。
 
会いたいのは山々だが、ロックバンドの来日公演で出待ちなどしたことがないし、そもそも事前に呼び屋に「メンバーから呼ばれているので」と申し出たところで、誠意ある対応をしてもらえるとは到底思えない。幸い興行ビザは出国前日に無事発行されたと連絡があり、ライブ前日にメンバー全員入国した旨が呼び屋のSNSに上がったのを見た足で、ライブ会場そばのデパートで祝来日シャンパンを手配し、万が一会うタイミングを逸しても一応ライブには来たという証拠を残そうと、ライブ初日にバンドが会場に入る時間を見計らって楽屋に届けてもらう事にした。東京で2回行われたライブは、整理券№が1桁に近かったのでほぼ2日とも最前列エリアで観る事が出来た。やはり、パッケージビデオや動画配信で観るのと、まさしくライブで観るのとは感激が違う。そして長年ファンではあったが、ここまで動的な、ロックバンドとして王道のステージを展開するバンドだとは思わなかった。
 
最近の中小規模のライブは物販(マーチャン販売)が主たる収入源となるため、ライブの前後に物販を行い、特に終了後は物販で購入したTシャツやCDなどにサインをしてもらうMeet&Greetタイムが設けられている事が多く、ご多分に漏れずざわざわと会場に残留した大半のファンが整列し始めた。満席で200人程度のライブハウスに八分入りの初日、この客が居なくなるまで待つのもどうかと思い、挨拶だけして帰ろうと、列に並んだ。ステージは勿論、ファンと握手をしたりサインをしている仕事中の文通相手を見るのは初めてだ。前の人にサインを書き終わる頃「お久しぶりです」と声をかけた。入国後の連絡先は事前にきいていたが、特に急ぎの用事もなかったので、こちらから一切連絡せずに突然本人の目の前に現れた形となった為、声をかけた瞬間文通相手は驚きで軽くのけぞった。そして次の瞬間、猛烈な笑顔で握手をした。バンド写真はもちろん、学生時代に会った時でさえも見たことのないとてもいい笑顔で「ライブはどうだった?」と聞かれ、一言「Brilliant !」と答えた時、更に光量の増した笑顔で「良かった!」と嬉しそうだった。「シャンパンどうもありがとう、明日のライブが終わったらみんなでいただきます」私も嬉しかったが、再会の握手からずっと手を握られっぱなしというのが、後ろにまだまだ並んでいるファンの手前何ともばつが悪く「また明日来ます」と挨拶し、初日は早々に帰った。
 
2日目は更に動員が減って、60人いたかどうかの客の入りだったが、2回公演を終えたメンバーが、Meet&Greetの前に一旦楽屋に戻った後、全員でグラスとシャンパンを持って現れた。前日よりぐっとリラックスした雰囲気のグリーティングタイムで、再び文通相手と、同じく26年ぶりに会う弟が私のあげたシャンパンを勧めてくれたが、全くの下戸なので断ると「なんだよ!君がくれたシャンパンなのに、いいのかよ!!でも久しぶりだね、だいぶ前うちに遊びに来たよね?26年ぶり?もうそんなかよ!!」快活な弟は当時と全く変わっていなかった。
 
沢山のファンが参集する中、文通相手が「ちょっと待ってて」と、突如楽屋に走って行った。数分後、モレスキンみたいなゴムバンドのついた黒いノートを手に持って戻ってきた。ゴムバンドを外し、ノートのポケットから1枚の写真を取り、得意そうに差し出した。「ほら、一緒にマルバーン山に登った時の写真だよ!」そこには22歳の私が映っていた。マルバーン山という超ローカルな名前が飛び出し、弟をはじめウスターシャー出身のメンバーは爆笑、私は赤面、腹を抱えて笑うメンバーをよそに周りの人はさっぱり訳が分からない。パブリック・イメージとは程遠い、泣き笑いで話が止まらないゴスバンド。客もメンバーも、動員の悪さから「もう二度と、日本では会えない」ことはわかっている。だから、呼び屋が早く出て行け!ライブは終わった!と幾ら叫んでも、そこは触れ得ざる異空間の様に時が流れていた。「また、連絡を取り合おう」そう約束して、私は会場を後にした。