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Episode 1804 : I would talk about it when I went to heaven 3-2

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冥途の土産話 3-2

【前回までのあらすじ】卒業旅行で訪れたイギリス。各地転々とする道中、2年間文通していた憧れのバンドメンバーとリアルで対面!が、まさにリアルな本人は「憧れ」という言葉が瓦解し、音楽や映像では伝わってこなかった一面が見えまくるモーメントが頻発!人生、ノンストップ!!

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旅行中の私は、2週間ウースター市内のB&Bに宿を構え、ウースターを拠点に近郊のグロスターやチェルトナム・スパ、オックスフォード、カーディフなど、ウースターから列車で1本で行ける英国中西部からウェールズの街を訪ね歩いていたが、その合間に文通相手とも数回会い、ウースター周辺の観光は主に彼が案内してくれた。市内から車で30分ほど行ったところにあるゴシックな教会には土地にゆかりの方が数多く埋葬されており、中世の戦争で亡くなった領主と思しき有名な人物が、寝台に横たわったブロンズ像があり、脇腹に剣で刺された後まで再現されていたのを「ほら、ここ見て」と熱心に説明してくれた。英国を誇る作曲家、エドワード・エルガーの出身地でもあるウスターシャー州は、マルバーン・ヒル(通称マルバーン山)というおらが自慢の丘陵地帯があり、パブ屋で衝撃の対面をした数日後、まずはマルバーン山に連れて行ってくれることになった。マルバーン山のある英国有数の温泉地帯であるグレート・マルバーンには、当時彼のバンドが所属していたインディ・レーベル、リフレックス・レコード(廃業)のオフィスもあり、割とよく来るのだという。

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山と言っても大した標高ではなく、平服で充分なウォーキングルートを1時間ちょっと歩くと、すぐに山頂を現す方位計みたいの(写真)が出てきたが、360度視界を遮るものがなく、天気の変わりやすい英国にしては珍しく快晴のなか、前方にウスターシャー州、後方に隣県ヘレフォードシャー州をパノラマで見渡せたのは圧巻だった。マルバーン山頂詣では地元の小学生にとって遠足の定番らしく、当時28歳だった彼も「いやー、山頂まで来たの16年ぶりだよ。久しぶりだなあ」と絶景との再会を堪能していた。当然そこは絶好の撮影スポットでもあり「写真を撮ってあげる、カメラ貸して」と何枚か写真を撮ってもらったが、撮る時「ちょっとこっち向け」とか「もうちょっとそっち向け」と割と細かく注文をつけてきたので、あとで現像してみたら山7:私3と人物配置が微妙だが、一応プロのフォトグラファーが撮ったかな的なショットが数枚あった。

「今日はうちに招待するよ」という日もあった。日本の地方都市と同じく、車は一家に一台ではなく大人ひとり一台ないと生活が立ちいかない交通インフラから隔絶された地域に住んでいるため、自分専用の車(フォードのリッターカー)で迎えに来てもらうのだが、外観は洗車無用、助手席はドアの把手が取れていて、乗せてもらうのも一苦労だった。日本ではそういう状態で走行している車を見た事がなかったが、英国では当時旧ソ連製の乗用車、ラーダがガソリンをしたたらせながら走っていたり、フレームが歪んで窓が開かない車も見かけたので、卒業旅行も終盤に差し掛かっていた頃だった私はさほど驚かなかった。むしろ、その車で彼の家へ向かう道中、度々身体がふわっとする瞬間の方が気になった。対向車のない両脇草ぼうぼうの、もしや道ではないかもしれない田舎道を爆走するリッターカー、車体が小さいから体が浮くのかな?池袋の商店街で誰も車を運転しない家庭に育った私はそう思ったが、ふとメーターを見ると針が「70」を過ぎている。こんな農道、時速70キロで走る事もないと思うけど…と思った瞬間血の気が引いた。当時の英国の度量衡はヤードポンド法からメートル法に切り替わって間もなく、大概の既存品は古い度量衡のままだった。彼は70マイル、つまり時速110キロ以上で農道を爆走していたのである。そんなわけで実家にはすぐついた。

築400年と聞いたその家は昔の百姓屋敷で、庭には馬に曳かせてリンゴをつぶし、英国中西部特産のサイダーを作る大きな石臼や、薪割り用の切り株もあった。薪割りはもっぱら彼の仕事だという。家は天井の高い部分がなく、1階、中2階、2階…と迷路のように入り組んでいて、幾つ部屋があるのか判らない間取りで、書斎と思われる奥の部屋に通された。彼は4人きょうだいの次男で、末っ子の三男である弟とバンドを組んでいるわけだが、現在はイタリアでアトリエを構えている陶芸家の長男、その次がお姉さんでカリフォルニアで競走馬の牧場に嫁いだという。書斎は粘土細工がごろごろ転がっていたから、お兄さんが独立した際空いた部屋なのだろう。いかにもDIYな書棚にはアナログ盤とペーパーバックがびっしりつまり、部屋の隅には「ナチス大作戦」的なボードゲームが山積みだった。英国人らしくミルクティが振舞われたが、2か月弱の英国滞在で後にも先にも人のお宅でアールグレィティが出てきたのはここだけだった。お茶をいただきながら、本人が好きな本や音楽の話-ワイルドの「ドリアングレイの肖像」が大好きというので、私は言葉遣いが大仰で、最初の数ページ読んだだけで後の展開が透けて見えて、あまり面白くなかったと言ったら「それは翻訳のせいだよ。すごく面白いんだから。原書で読まなくちゃ」と諭されたり、日本を立つ直前に転倒事故で亡くなったニコが可哀想だとか、ティム・バックリィが好きだが実はディスモータルコイルで初めて知ったとか、サントラはマカロニウエスタンものが大好きで、かなり影響を受けているなど、また今時の言葉でいえばカメラ女子だった私があれこれ写真やカメラについて尋ねたり、カメラを見せてもらうなど、結構色々話したが、話しながらレコードをかけてくれるのが、シャープのカセットデッキ付きレコードプレイヤーで、針を布巾でバリバリ拭いていたので、ミュージシャンでも家の音響機器はこんなもんか、しかも扱いのぞんざいさに驚いた。途中同じバンドの弟もやってきた、というより階段を駆け上がって走り込んできた。弟はバンド写真では想像できない位快活で、私を見るなり「ハーイ、僕ジャスティン!24歳なんだ!よろしくねっ!!じゃーねーっ!!」とガンガン握手した後、階段を駆け下りて行った。だが何より一番驚いたのが、その後彼が書棚から出してきた、一枚の写真だった。草っぱらにささった木端の垣根の前に、小学生高学年の男の子が二人と、低学年の男の子が一人、計三人映っていた。写真を見せながら彼は右の子供を指さした。

「小学校の時、ジョン・テイラーと同級生だったんだ。苗字がテイラーだから、ティガーって呼んでいたんだ」

…え?ジョン・テイラー?デュランデュランの??

「そう」

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 確かによく見ると、面影がなくもない。10歳ちょっとだろうけど、微笑を浮かべてすっとした立ち姿をしたその男の子は、将来のスター街道を約束されたような既に華のある表情をしていた。その横で、真ん中でもんやりと立っているのが本人で、横で垣根に座って激しくVサインをしているのが弟だった。

有名人と同級生だったネタは古今東西鉄板だとは思うが、片やワールドワイドなスター、片やキュアーの前座でハマースミス・オデオンに出たのがヤマ場のインディバンド、同じミュージシャンとしてその嬉しそうな自慢っぷりはどうなの?!と、今にして思えば、同じミュージシャンでも全く次元の違う所にいて、比較すること自体頭を掠めもしなかったのかもしれないが、いいのかそれで感で胸が詰まった。

帰り際、書棚から1冊の本を取り出し、ちょっと何か書いた後「これお土産。同じの2冊持ってるからあげるよ」と、英国の学校推薦図書では筆頭作品である「ロージーとリンゴ酒(原題:Cider with Rosie)」のペーパーバックをくれた。

夕方、車で市内のB&Bまで送ってくれる際、ご両親が揃って玄関まで見送ってくれた。当時すでに77歳とご高齢のお父さんと、お父さんとは16歳年下の優しそうなお母さん。自慢の記念写真に写っていたジョン・テイラーはバーミンガム出身なので、写真当時-つまり、小学生まではバーミンガムに住んでいた事がわかった。この住所も番地もないような百姓屋敷は、ご年齢から察するにお父さんが定年退職したか何かで購入し、一家で引っ越してきたのだろう。この日、私は一バンドのファンとして「知りすぎるのも良くない」と初めて思った忘れられない一日になった。

 

次回、それから時は流れた2015年、まさかの出来事が!お楽しみに!!