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Episode1712 : The Disappointed 3 / Kycilia Sabi

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練馬残念猫3 キシリア・サビ
 
現在の家に越してきて10年以上経った。桜台駅を挟み豊玉地区から桜台地区へ、旧居から歩いて10分足らずの場所なのに、突然豪農屋敷(=現在の大家)や田畑、その農家一族の鎮守稲荷、夥しい数の空き家が拡がる、豊玉とはかなり趣の違う住まいに最初は戸惑ったが、家の周りに仲良くしてくれる猫がいない事も戸惑いを助長した。猫がいない訳ではない、寄ると皆逃げるのだ。その中で、必ず我が家の斜め向かいのアパート周辺にいるが、いつも厳しい顔でこちらを見ては最後に逃げるサビ猫がいた。サビにひっかけてキシリアさんと呼ぶ事にした。キシリアさんは、日中アパートの屋根やベランダ、庭の大木の上で、陽だまりを独り占めにしながら午睡を貪っている事が多かったが、主人が寝ている彼女に声をかけたり後ろから近づいたりして折角のリラックスタイムを何度も妨害したので、寝込みを襲われた彼女は殊の外主人を忌み嫌うようになり、一緒に居た私まで嫌われてしまった。出勤時、ベランダ(=不法侵入)にいるキシリアさんと目が合うと、遠目ながらみるみる表情が曇っていくのがわかった。
 
キシリアさんは、斜め向かいのアパートに住んでいる誰かの世話になっているらしく、夕方になると外階段の上で鳴いている事が多かった。特に11月、うららかだった東京の秋が突如冬の表情を露わにする冷え込みの強い夜「ぎぃゃあぁあ~あぁあぁあ…ぎゃあぁぁ…」と、空をつんざくような大声で毎晩長々と鳴き、やがてその鳴き声が聞こえなくなる、つまり家主が根負けし、初冬から春までそのアパートでお世話になるのだが、彼女の絶叫を聴く度「ああ、そろそろ冬だね」とガスストーブやホットカーペットを押入れから出すのが晩秋の習わしだった。よくもまあそんな小さな体で物凄い声量がでるもんだという位凄い声で鳴くので、近隣の飼い猫が怖がるらしく、数件先の方が「あの猫、どこの猫なの?あの猫の声がするとうちの子が怖がって泣くのよ」と言っていた程だ。一体どういう内容を絶叫しているのか、猫語翻訳機があったら「不適切な内容の歌詞」みたいな事を言っているのかもしれないし、単純に人間が聞いても不安になる鳴き声なので、同類としては相当怖かったに違いない。キシリアさんが鳴きやむと冬が来る。そして姿が消える。暖かくなるとまた現れる。遠くから苦い目で睨まれる。木枯らし一号と共に絶叫する。そのサイクルを数年繰り返した後、彼女に人生最大のピンチがやってきた。世話になった住人が引っ越したのである。
 
キシリアさんは、外暮らしの間も冬場お世話になっていた住人から餌をもらっていたのか、日々の食事にも事欠くようになったらしく、高い所ではなく地べたをうろうろするようになった。うちのマンションにもやってくるようになって主人と「お腹空いているのかな」とこっそり無塩ツナ缶をあげたら、勢いよく食べた上、皿を下げようとしたら怒られた。まだまだ距離は縮まらなかったが、ある日を境に態度が激変した。3年前の9月半ば、マンションの集合玄関を出ようとしたら、待ち伏せしていたキシリアさんが絶叫しながら突進してきた。それまで寄ってきたことなどなかったのに、それだけでも驚いたが、足元をぐるぐる回ったかと思った瞬間、私のすねをベロベロと舐めはじめたのだ。キシリアさんのあまりの豹変と、プライドをかなぐり捨て、恥も外聞も捨てた生きるための必死な行動に、野良猫の一行動ながら私は鈍器で頭を殴られたような衝撃を受けた。自分は人生の危機に、ここまで自分を捨てられるだろうか。自分は、ここまで必死に生きてきただろうか?私はしばらく、その事ばかりを考えていた。
 
その後もキシリアさんのアピール行動はエスカレートする一方で、朝は人通りの多い所に正座し、首だけ動かしながら「おはようございます、いってらっしゃい、お気をつけて」と出勤する住民の顔をひとりひとり眼に焼き付け、夕方その人達が帰宅する頃、猛烈な勢いで後ろからついてきて、玄関に滑り込もうとするが、我が家はペット禁止の賃貸マンションな上に集合玄関はオートロックドアで、持ち家や外階段のアパートよりハードルが高く、物理的にも侵入しづらいので、いつも集合玄関横の植込みに潜伏していたり、暗闇から猛ダッシュで追いかけられたりした。主人と連絡を取り合い、マンションの裏口から入ったりと、以前の住まいでも狙いを定めた猫から同様のアタックをかけられたが、彼女には悲壮感が全身に漂っていたので、見かけるたびに後ろめたい気分になった。千里の道も一歩からで、徐々にキシリアさんを気遣う(≒取り込まれた)人が現れ、家にあげる人はいなかったが、彼女を膝に乗っけて路肩に座り込む青年、こっそり食事を用意する人も出てきた。それなのに、キシリアさんは猛アタックをやめなかった。最終目標「家内侵入」に至らないからだ。f:id:Tanu_LPT:20171219135905j:plain年があけ、春になり「こいつと居れば喰いっぱぐれない」と踏んだ、体格の良い流しの黒猫(写真左)がいつも一緒に居るようになった。キシリアさんが私たちを見つける→黒猫が猛スピードでやってくる→餌の取り合い→黒猫がキシリアさんにタックル→キシリアひるまず、みたいな連続行動で、2人は仲が良いわけでもなく、ただ利害が一致しただけで生きるために持ちつ持たれつ起居を共にしていた。そうして夏が終わり、秋が過ぎ、冬が来た。
 
2年前の12月、キシリアさんが良く居るアパートに「猫に餌をあげないでください、食べ過ぎて苦しんでいます」という張り紙が出た。食べすぎで吐くほど世話をする人が出たのか、と思う間もなく、キシリアさんと黒猫は張り紙の数日後、忽然と消えた。暫くは「冬場、お世話になる人が見つかったんだね」と主人と話していたが、春になり、夏になり、そして秋になってもキシリアさんは姿を現さなかった。キシリアさんが消えて2度目の晩秋が来て、冬が来た。
 
キシリアさんに初めて脛をなめられてからもう3年になる。今でもあの時「おまえは、なりふり構わず必死に生きているか」という問いを、永遠に抜けない楔を、彼女に打ち込まれたような気がしてならない。

 

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おはようございます
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いってらっしゃい
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お気をつけて