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マンプク宮殿13 帰省とFOOL’S MATE

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年末年始の地方出身者の嗜み、実家への帰省を今年も無事行った。ここ10年ほどは実家へ戻る前に帰路途中の街へ立ち寄るという習慣が我が家にはある。秋田市、弘前市、そしてここ数年は仙台市に宿泊。冬の東北地方への旅、大雪の中での雷鳴に怯えたり、余りの寒さにスマホのバッテリーがわずか数時間で空になったり、ネットで存在を知った面白そうな楽器屋へ行く途中に遭難しそうになったりという東北の冬あるある!を体現しながら土地土地の街並みと味覚を楽しむ為歩きまわるのが楽しみ。

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ホヤセリ鍋

 昨年末は仙台市で偶然見つけたホヤ料理専門店に入店、幸いに妻もホヤは嫌いではないのでホヤ&セリの鍋、ホヤカツレツ、ホヤで煮玉子を包んだもの等を堪能。その後一昨年入って気にいったワイン酒場へ行こうとしたら一昨年は30日まで営業していたのに今年は30日から年末年始休みに入ってしまっており断念というハプニングもありながら翌日は牡蠣飯にもありつけ通常より腹を2割増し膨らませながら盛岡へ向かう。

東北地方は天候荒れ気味という情報もあり怯えていたが昼過ぎ到着した盛岡は晴れ渡り積雪もそれほどでも無い。やや安心しつつ夕方から高校時代の友人と同窓会。旧交を温めながら21時過ぎに御開き。その後、帰省時にいつも寄らせていただく喫茶店が移転して営業を開始されたという事で街の奥の方へ向かう途中パラパラと雪が・・・・店に入り店主さんにご挨拶、オーダー終了後ふと外を見るとあっという間に大降雪。路面は真っ白。

「こりゃあ元旦は雪掻きから始まりか・・・・」と思いつつ実家へ戻った。

 半年ぶりの実家、妹の子供たちは父方の実家へ行っており、父、母、妹と自分たち夫妻だけの静かな正月。御雑煮とお節料理が出てきていただく。子供のころはお節料理が苦手で仕方なかった。キツイ甘さのものが多く、昔から甘い食べ物が大の苦手の私は殆ど箸をつけないで煎餅やら焼いた餅に醤油かけて食べたりして凌いでいた。しかし今年久しぶりに食べたお節は美味しくいただけたのが意外。加齢で味覚が変化したのか?それとも昨今のお節は味付けが変わってきているのか?気付けば半分近くを自分一人で平らげ年末より更に更に数割膨らんだ腹を抱え雪掻きへ。前日の雪は溶けかけてビシャビシャになっている。こういう雪が一番難物。重さは増しているし下手なところにまとめると夜間再度凍りつき広大なアイスバーンが形成されたりする。大分勘も鈍っているので母の指導を受けつつ1時間程労務に勤しんだ。

 それも終わると後はテレビ見るか、酒飲むか、だらだら食いしかする事が無い。元来テレビを見る習慣が無い私は名前を知っているが動いている所を見たことのない芸人さんとかタレントを元旦の実家で初めて見る事が多く、数時間程度は興味深く眺めているがじきに飽きる。居間から抜けだし本棚に残っていた子供の頃に買った本を眺めてみる。

 松本 零士の戦場マンガシリーズの単行本、模型雑誌、ロッキングオン、ミュージックマガジンetc・・・上京時に持ち出したものも多くあまり多くは残っていない中、かなりまとまったバックナンバーが残っている「Fool’s Mate」なる音楽雑誌を数冊抜きだしてみた。

Fools Mate
フールズメイト/ピーター・ハミル

この雑誌、以前にも書いたことがあるが誌名はPETER HAMMILLの1stソロアルバムからとられている事からも判るように当初はプログレ系音楽雑誌だったが、後に→ポストパンク&アヴァンギャルドノイズ系→海外インディペンデント系ロック→日本のアングラインディペンデント系と扱うジャンルが変遷をたどり最後はV系雑誌となり2012年に紙媒体の発行は停止している。実家に残っているのは海外インディ系時代までだが今回はプログレ時代にものを再読してみた。 

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フールズメイト №68(1987年5月号) 表紙は故・北村昌士

 特集「キングクリムゾン、存在と歴史」「ジャーマンロック史学」「知られざる共産圏のロックシーン」「ユーロロックオルタナティブ」・・・こういう時代がかったタイトルの文章を半分も理解できない上にそこに名前があがっているアルバムやアーティストを実際聴ける機会も殆ど無い中、想像力を逞しくしてまだ見ぬ(聴けぬ)世界に憧れていた10代の自分を思い出す。今ではその当時聴けなかったものもCDで廉価に再発されているしSpotify等で聴く事が可能になっているが、実際聴いてみてそこに自分の求めるものがあったのか?と考えると、うーん・・・2割は素晴らしい、4割は嫌いでは無い、2割は「うーん・・・」2割は「なんじゃこりゃ?」という感じだったかな・・・と。

 音楽評論というものがまだそれなりの価値があると思われていた時代の遺物みたいなものだが、生硬な文章から匂い立つ香りがまだ自分のどこかにしこりのように残っているんだろう。

 この雑誌にはV系雑誌に変わる直前の号で自分が学生時代にやっていたバンドが若気の至りで作った7インチアナログ盤のレビューを載せていただいた。望外に良い評価をいただいた事を記憶している。色々な意味でお世話になった。

 加齢とともに以前駄目だったものが良くなる、逆も当然ある。で、30年以上前のこの雑誌はどうだったんだろう?今年の元旦も数時間は読み耽っていたのだから中学の時と変わらないのかな・・・・